日めくり5分哲学『自由の哲学』を読む 第十五章4
われわれが現実の中に生きていること、われわれの存在が現実の中に根罪していることを、どんなに極端な主観的観念論者たちといえども、否定しはしないであろう。ただ彼らはわれわれの認識能力が現実の生きた体験を理念的に把握できるかどうかについて異論を唱えるのである。それに対する一元論の主張は、思考は主観的でも客観的でもなく、現実の両側面を包括する原理なのだ、ということである。思考を通して観察するとき、われわれは現実の系列に属する過程を辿っている。経験そのものの内部における単なる知覚行為の一面性は思考を通して克服される。われわれは抽象概念による仮説を通して、純概念的な施策を通して、現実の本質を案出しようとは思わない。われわれは視覚内容のための理念を見つけ出すことで、現実そのものの中に生きる。一元論は経験によっては把握不可能な何か(彼岸的なもの)を求めるのではなく、概念と知覚内容との関連の中に現実を見るのである。一元論は単なる抽象的な概念から形而上学を紡ぎ出したりはしない。概念そのものは現実世界の一側面でしかない。その側面は知覚には隠されている。しかしそれが知覚内容に関連づけられると、現実的な意味が出てくる。人間は現実世界に中に生きている,この世界以外のところに、体験不可能な高次の現実を求める必要はない。そういう確信を一元論はわれわれの中に呼び起こす。そして絶対的な現実を経験以外のところに求めようとするのをやめさせる。一元論は経験内容そのものを現実であると認める。そしてこの現実だけで満足する。
<命題15-4>
第十五章5へつづく
いいなと思ったら応援しよう!
ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んで頂いたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことです!マガジン内のコンテンツに興味のある方はフォローもよろしくお願いします。