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日めくり5分哲学『自由の哲学』を読む 第十三章25

●一九一八年の新版のための補遺
 人間の意志そのものは理性に反している、という表面的な意見に毒されている人は、本章で述べた事柄を誤解するかも知れない。そのような人は、この反理性的な本質が明らかにされれば、意志からの決定的な開放こそが倫理的な努力の目標になることを、納得させられるだろうと考える。勿論私は専門的な哲学者からこのような意見を聞かされた。そういう哲学者は、動物や大抵の人間がやろうとしないこと、つまり人生の帳尻合わせを、代わりにやるのが哲学者の仕事である、と私に納得させようとする。けれどもこのような意見を述べる人は主要な点を見落としている。すなわち、自由を実現するためには、人間本性の中で意志が直観的思考によって担われていなければならない。という点をである。勿論、意志が直観以外の何かによって左右されることもある。しかし人間本性から流れてくる直観を自由に生かすことによってのみ、道徳価値は生み出される。倫理的個体主義はそのような道徳性のまったき尊厳を表現するのにふさわしい立場である。その立場は、意志を規範に外から合わせることが道徳的な態度なのではなく、道徳意志が自分の存在の一部分になるように、それを自分の内部からおのずと生じてくるようにすることが、道徳的な態度なのだ、と考える。したがって不道徳な行為は人間存在の畸形であり、不具であるとしか考えない。

<命題13-25>

第十三章26まとめへつづく

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