『喜怒哀楽で良いのです!』
前回の記事にも繋がりますが、
感情の『喜怒哀楽』のなかで、喜びと楽しみはポジティブで良いイメージを持っている方が多い一方で、
怒りと哀しみはネガティブで悪いイメージの方が多いのですが、少し考えてみて下さい。
怒りはダメでしょうか?
哀しみはいけないことでしょうか?
怒りや哀しみは表に出してはいけませんか?
書字障害を抱える子どもたちを新しいテクノロジーで支援するDO-IT Japanを立ち上げ、
不登校だけれどユニークな子どもたちを集めた異才発掘プロジェクトROCKETの東京大学 先端科学技術研究センター中邑賢龍教授は
「僕を突き動かすのは怒りなんだ。
このおかしな社会に対する怒りなんだ!」
と、ずっと変わらず信念を貫いていらっしゃいます。
怒りは何かを変える原動力になる
怒りは突き進むエネルギーになる
ではなぜ、ネガティブなものになってしまっているのか…私なりに考察してみました。
まずは「怒り」です。
人は腹を立てているとき、その感情を分析してみると、その感情が「怒り」ではなく、「妬み・嫉み」である場合があることに気が付きました。
そしてその場合、気持ちや成長において立ち止まってしまっていることが多いことにも気が付きました。
私は良くも悪くも事が動かないという事が1番「良し」としません。
時間軸とリアルとのズレがどんどん大きくなるだけです。
自分は一体何に怒っているのか?
一旦立ち止まって考えてみて下さい。
もし腹が立った時、自分でもその感情を分析してみると、違ったものがクリアになるかもしれません。
相手に対して怒っていたと思っていても、実は自分に怒っているのかもしれない…
あの人嫌い!と怒っていると思っていても、実は羨ましいと思っていたのかもしれない…
腹が立っている原因が別にあると気づいたら、しっかり受け止めて、そして流しましょう。
気が付くだけでも充分です。
気が付けたなら、それをどうするか選択出来るテーブルについたと言うことです。
また、何かを変えよう!と怒りで行動していると思っていても、実は妬み・嫉みで行動してしまっているかもしれない…
その場合、原動力になっているのが本当に「怒り」であれば、
行動した結果は必ず付いてくると私は思います。
「感情的に動くな!」の本来の意味は、
その「感情」が何なのかをきちんと分析し、「妬み・嫉み」になっていたら、しっかり方向性を確認して修正しましょう!と言うことだと思っています。
そして『哀しみ』
小さな子どもでも「泣き虫」が悪いことのように感じてしまっている子がいます。
感情を殺して泣かないことが本当に良いことなのでしょうか?
私の母方の祖父は、歩いて5分とすぐ近くに住んでいたのですが、私が中学を卒業した時に亡くなりました。
とても家族想いの優しい人で、小さい頃は祖父のお布団で一緒に寝たり、
「好き好き〜」と頬ずりされるとヒゲが痛くて、嬉しくもありちょっと嫌でもありました。
そんな祖父が亡くなり、お通夜では皆が集まって哀しみの中にありました。
祖父と一緒に住んでいた5歳の小さな従姉妹も号泣していて、
私は「こんな小さな子が死を理解できるのか…」と驚き、漠然と見ていたのを覚えています。
そしてお葬式も済み、ひと段落つき、日常が戻ってきた頃、
何気に祖父の家へ行き、
「あ…おじいちゃん居ないんだった…」と思ったとき、
涙が溢れて止まりませんでした。
今まで何とも無いと思って泣かなかったのではなく、
哀しみを受け止めきれず泣けなかっただけなのです。
「泣き虫」は心を守っているのかもしれない。
「泣き虫」は心を強くするお手伝いをしていているのかもしれない。
「泣かない子」と「泣けない子」は大きく違う。
泣くことが悪いとするような安易な声かけは、して欲しくないと思います。
それよりも、安心して泣かせてあげられる環境を作ってあげて下さい。
しっかり泣けば、しっかり立ち上がります。
『喜怒哀楽』が全部揃って、健全な感情です。
何かが欠けても、何かにフタをしてもバランスが崩れます。
ネガティブなイメージの『怒』と『哀』も、
健全な『怒』は原動力になり、
健全な『哀』は心を強くする
と知ってもらえると嬉しいです。