小さな頃の、小さなようで小さくなかったキズの話
重い話ではないのでちょっと聞いてください。
この記事を書こうと思った理由を
うまく説明できないのだけれど。
小さい時にあの人に言われたあの一言が、
なんとなく、少しだけ、
ずっと引っかかっている事ってないですか?
一生を左右するほどの事ではないかもしれないけれど
何故かたまに思い出す、みたいなこと。
そういう話をしたいです。
かわいい小物入れ
唐突ですが、私けっこう手先が器用なんです。
なんとなく感覚でできちゃう人。
または見様見真似で。
それは子どもの頃からそうで、小学校の時には手芸クラブに入っていました。
そういえば私は、小さな頃から音楽が好きで、というか「好き」という意識もないくらい、ごく普通に音楽を選んできました。
それで幼稚園ではオルガン教室に行って、小学校になってピアノを習っていたのだけれど、クラブでは音楽ができるところがなかったんです。
✳︎
ある日、水曜日のクラブの日に向けて、家で小物入れやペンケースを作りました。先生に見てもらうために。
くすんだブルーのフェルト生地を使って、カラフルなお花と蝶々、雲の刺繍をした。小物入れのフタのに、“ブランケットステッチ”を施したりもした。
鮮明に覚えてるの、どんな物を作ったのか。
すごく可愛くできた。
そういえば刺繍って誰かに教えてもらったのかな。
お婆ちゃんかな?本を見ながらかな?
母は不器用な人なので「どうやってやるのそれ?」って感じだから母ではないです。笑
ちなみに母はボタン付けもへたっぴなので、小学校の頃から私がやってあげてました。エプロンとか洋服のボタンを付け直すのとか。
なんならボタンホールの方も綻びてたから補修しといたよ、とか。よくやっていた。
モヤモヤ
で、クラブの日に意気揚々と、作った小物入れを先生に見せに行ったんです。いや、実際にそんな態度はできてないはずなのですが。だいぶビビりなので。
まぁとにかく、内心は褒められに行くスタンスです。
そしたらね、先生が
「これ、自分でやったの?」
って言ってた。
その時もなんとなく違和感はあった気はする。
「(??)うん、家で作ってきた!」
「ふーん、そうなの…」
まじまじと私のかわいい小物入れを見る先生。
先生はなんだか納得してないような顔に見えた。
なんだかなぁ。
モヤモヤしたまま家に帰った。
なんでうまく作っちゃったんだろ
母に、その日にあった事をそのまま話した。
それではじめて気づいた。先生は、
“お母さんが手伝ったんじゃないの?”
って疑っていたことに。
そういえば、
「お母さんとやったの?」
みたいなこと言ってたわ(遅)
私からしたら、自分だけでやった方が綺麗にできるから
手伝ってもらうはずがないのだけど…。母には申し訳ないけど、事実なのです。
お母さんは、
「あなた器用すぎるのよ
それだけ綺麗に上手にできたってことよ」
というような事を言っていたけど、そんな事はどうでもよくて。なんでこんなに綺麗に作ってしまったんだろう、って悔やんだんですね。
どんな後悔だよって思うんですけど。
それから、クラブには行っても先生に積極的に作ったものを見せに行くって事はなくなったちゃった。
真実とは
人を疑うことは、できるだけしたくない。
特に、小さな子どもが伝えてきた事が、
大人の私がもし嘘だって感じたとしても
「そうなんだね」って言いたい。
信じるか否かという問題ではなくて、
その子が言っていることがその子の真実だと思うから。
少なくともその時は。
もしその子が、嘘をついた事を後悔したとしたら
それはその子の問題だもの。
対、大人でも同じなんですけどね。
嘘とか真実とかって、捉え方でしかなくて
あとはその人がどう伝えたいかってだけの事だと思う。
ウソが悪いことでもないし
真実が正義なわけでもない。よね。
2022/03/29 ココ純
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