フエの古刹を訪ねて 焼身供養した僧侶 〜マインドフルな旅 in ベトナム フエ編
この旅では、アメリカの僧院で知り合ったTさんに誘っていただいて、マインドフルネスを実践する仲間や僧院を訪ねている。ティク・ナット・ハン禅師(親しみを込めてタイ、先生と呼ばれている)ゆかりの場所だ。
ベトナム系アメリカ人で、地の利のある彼女にほぼ全ておまかせ。わたしは金魚のなんとか状態である。
で「明日はフリーデイ!」
という彼女の鶴の一声で、7/29は丸一日ひとり古都フエを楽しむことになった。
フエで最も古く美しい寺院
この1月にも訪問したフエ Huế。
お寺が多く、ゆったりと落ち着いた印象だ。
せっかくなら最も古いお寺に、とティエンムー寺院 / Chùa Thiên Mụ / 天姥寺に行くことにした。地図はこちら https://x.gd/89Kdp
お寺の前にはお土産屋さんが並び、何台もの観光バスが。
スペイン語、フランス語、英語、ベトナム語が飛び交っている。
焼身した僧侶の乗ったオースティン
ここに行きたいと思ったもうひとつの理由は、焼身供養した僧侶にゆかりのある場所だからだった。
「ティック・クアン・ドック(Thích Quảng Đức / 釋廣德 1897-1963)
尊称 ティック・クアン・ドック菩薩(Bồ Tát Thích Quảng Đức)
ドックは1963年6月11日、当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン市)のカンボジア大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した」
(Wikipediaより)
ティエンムー寺には、ドゥック師(発音はドゥックに近いので文中ではこう表記する)を焼身供養の現場に乗せていった車、オースティンが展示されている。
現場の写真を見ると、蓮華座のまま炎に包まれるドゥック師の背後に車が写っている。ボンネットが上げてあるのは、エンジントラブルを装うためだった。
ドゥック師は、ティエンムー寺の僧侶かと思ったらそうではないらしい。
当時の背景やドゥック師については、こちらのまとめが素晴らしいので気になる方はこちらを読んでください(丸投げしてすみません)。
今年一月に訪れたホーチミン Hồ Chí Minhにあるティック・クアン・ドゥック師廟。
供養塔や記念碑にお参りする人々が絶えない。
慈悲のメッセージ
ドゥック師の焼身供養は、世界中に衝撃が走った大事件。
わたしたちの先生、ティク・ナット・ハン禅師(タイ)は当時37才。ドゥック師の教えを受けたこともあった。
タイはのちに法話のなかでこう語っている。
「ティク・クアン・ドック師が身を捧げたのは、平和を望んで殺戮を止めたかったからです。私たち(仏教徒)は、(メディアを持たず)爆撃や怒り、恐怖の中で声を失っていました。だから生きながら自らの身を燃やしてメッセージを伝えるしかなかったのです。
暴力的な行為ではなく、私たちは板挟みになりながら、戦いを望んではいなかったのです。これは自殺ではありません。慈悲のメッセージなのです」
(NHK こころの時代 より抜粋)
ドゥック師に影響を受けて、続いて焼身しようとする若い弟子たちを、タイは思いとどまらせようとした。
しかし1967年、生徒のひとりである女性、ニャット・チー・マイ / Nhất Chi Maiが、ベトナム戦争の終結を訴え焼身供養をしている。こちらの映画「5 Powers」にその状況が少し描かれている。
エンゲージド・ブディズム 行動する仏教
戦争の最中、寺にこもって瞑想修行を続けるべきか、爆撃や騒動に苦しむ人々を助けるべきかという問題に直面したタイは、その両方を選ぶことを決断する。
仏教徒への弾圧の続くなか、命の危険をおかして立ち上がり「青少年社会奉仕学校」をつくり、破壊された村を再建し、孤児の世話をするなど救済活動を行った。それはやがて1万人のボランティアを集める大きな組織となる。先のニャット・チー・マイは熱心な生徒のひとりだった。
タイの創設したプラムヴィレッジは、ベトナム戦争にルーツを持つ。
欧米に渡り平和の呼びかけをしたことで、ベトナムからの国外追放を受け、フランスに亡命する。
そこで根づき、世界に広がって行ったのがプラムヴィレッジであり、マインドフルネスの教えなのだ。
No mud, No Lotus.
泥無くして、蓮華は咲かず
戦争のもたらす悲劇、争いで解決しようとする誤ったものの見方、敵への憎しみ。
こうした泥を深くみつめ、慈悲の心へと変容させる。
「エンゲージドブディズムとは、何よりもまず人生の全ての瞬間を生きる仏教です。
生きた仏教、日常の全ての瞬間を経験する仏教です。
それなしに、平和や社会正義を促進することはできないでしょう」
ティク・ナット・ハン
追記:ティクナットハン自身も焼身供養を企図していた
実は、近年になってタイ自身も当時、焼身を決意していたということが分かっている。
アメリカでベトナム戦争の和平を訴えていたタイは、ニューヨークの路上で焼身を決行しようとしていた。
ドゥック師が焼身供養をした1963年、タイはアメリカ・ニューヨークのコロンビア大学で研究をしていた。
ニューヨークでの焼身供養を計画していた数日前、ある大学教授が(ベトナム戦争の被害のなかで)声を上げられないひとびとのために、あなたが発信していることは本当に価値のあることです、といってタイの肩に手を置いた。
その時、タイは全身に大きな衝撃を受けた。
そして、これから焼身供養をしようととしていることを、彼に伝えられないことに気づく。
その教授の思いやりは、タイに多大な影響を与えた。
タイはコロンビア大学を出てマンハッタンの109通りを歩いていき、そして焼身の計画を手放す。
以降、タイはこのことを誰にもいわずに2022年に亡くなっている。
彼の弟子たちはこのことを知らなかったのだが、フランスのプラムヴィレッジの庵で見つかった自身の回顧録にそれが書かれていた。
2022年のタイの100日法要の機に、その回顧録はベトナム語で出版されており、現在英語版の出版計画が進んでいる。
8/7に公開されたこちらのインタビューで、ブラザー・ファップ・ルーがそのことを話している。
これは、アメリカのボランティアとして、ベトナムで四年あまり青少年社会奉仕学校(タイが創設した戦争被害者の救済活動。一万人のボランティアを抱えていた)で活動した日本人女性のインタビュー。
当時の状況を詳細に伝えている。焼身供養したチー•マイは、彼女をとても可愛がっていて、焼身のしらせを受け仲間と共にその現場に駆けつけたという。ぜひ四年にわたるその活動の様子を本にしてほしいと思う。
ブラザー・ファップ・ルーはタイの生涯を調査しているアメリカ人のシニアブラザー。
なぜタイはキング牧師やその他のひとびとに、ドゥック師の焼身供養の意味を、雄弁に語ることができたのか。
それはタイ自身が焼身供養を企図し、手放すというプロセスを経たからだということが分かった、と語っている。
瞑想とは
「瞑想は、社会から逃れるための方法ではありません。
自分自身に立ち返り、今起こっていることを見つめるためにあります。見るということは、行動することを伴います。
マインドフルネスがあれば、助けるために何をすべきで、何をすべきでないのかを理解することができます。」
ティク・ナット・ハン
続きます。
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