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行動する仏教 : ティク・ナット・ハン禅師の親戚の方との出会い 〜マインドフルな旅 in ベトナム
僧院での5日間のリトリートに参加する前に、経由地であるニャチャンでわたしたちの先生、ティク・ナット・ハン禅師のご親戚を訪ねることに。この旅をリードしてくださっているTさんの行動力とつながりはやはりすごい。
深夜の寝台バスでニャチャンへ
深夜バスで、ホイアン Hội An からニャチャン Nha Trang に着いたのは朝5時半。このベトナム旅で二回目の深夜の寝台バス移動だ。
今回は、わたしがオンラインでCabin20という幅広のバスを予約した。
前回の初めての寝台バスは、寝台の幅が狭く、起きる時に軽いギックリ腰になってしまったため、寝台の写真をよくよく見て幅広の寝台バスを厳選した(ペアルックの若い女性が二人で寝ている写真があって、意味がよくわからなかったけれど、それくらい広かった)。
バスの振動が強くて、結局はあまり眠れなかったのだけれど。
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朝6時のお宅訪問はあり?
バスを降り、タクシーで10分ほどのご親戚のお宅へ向かう。
なんと時間は朝の6時過ぎ。
こんなに早く行って大丈夫なのだろうかと心配になる。
ベトナムの朝は早いとは思う。
夜明け前からビーチに行ったり、ウォーキングしたり。
先日は、朝6時からお葬式をしていた。
タイにあるプラムヴィレッジ僧院でも、朝6時にお茶に招かれたことを思うと、そんなにおかしなことではないかもしれない。
年配のご夫婦が、6時過ぎに訪問したわたしたちをあたたかく迎えてくださる。
部屋の中には、ティク・ナット・ハン禅師の写真やカリグラフィー、プラムヴィレッジのカレンダーなどが飾られている。
まずは祭壇(お仏壇)でお参りさせてもらうと、ダイニングへと案内され、朝食まで出していただいた。さつまいも、みかんのような柑橘類、バナナ、お茶など。ありがたい。
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ちなみにコーヒーという中毒を断っている(余談)
コーヒーも淹れてくださったのだが、わたしは6月からコーヒー断ちをしているので、遠慮させていただいた。このコーヒーのメッカ、ベトナムでコーヒー断ち!まあ意外と無理なくいけている。
コーヒーは中毒性が高い。少なくともわたしには。
なので中毒にならないようにという意味で断っている。
かつて、アドレナリンを出しながら仕事をしていたとき、コーヒーとチョコレートを異様に欲していた。あれはかなり依存していたと思う。
実際、コーヒーの香りは好きだけれど、おいしい!と思ったことはあまりないような気がする。
コーヒーが飲みたい〜!と思うときはあの体へのインパクトの強さを求めているように思う。
以前も時々カフェイン断ちをしてみたが、数ヶ月するとまたお茶やコーヒーを飲み出してしまっていた。今回はカフェイン全般ではなく、コーヒーという飲み物を強く欲するとはどういうことなのかを深くみつめる、というプラクティスのつもりでやっている。
ティク・ナット・ハン禅師のご親戚
師とみなさんはどのようなつながりなのかというと、ご夫婦の旦那さんのほうが師の遠縁にあたる方で、彼のおばあさまが師のおばあさまのごきょうだいとのこと。
お二人は50年に渡りつれそっているご夫婦。
やさしくおだやかな雰囲気のお二人は、仏教の活動のなかで出会ったとか。
少しすると、師の母親ちがいのきょうだい(妹)の方もやってきてくれた。小柄で物静かな、落ち着いた雰囲気の女性だ。Tさんとご夫婦の奥さんがもっぱらしゃべっているのを、おだやかな表情で見守っている。
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エンゲージドブディスム 行動する仏教
同行のTさんは2007〜2009年ごろに、彼らと共にベトナムの孤児や恵まれない子どもたちのための活動をしていたという。苦労を共にした同志。久しぶりに再会を喜んでいた。
ご夫婦の奥さんのほうは、師が1964年にサイゴンで設立した青少年社会奉仕学校School of youth for social service:SYSS)の生徒だったという。
SYSSは若者に、村落における教育、医療、農業などの開発事業実施に向けた教育をほどこし、戦火のなか破壊される村々や困窮する人々を救出するための組織で、一万人のボランティアを集めた。その影響力を恐れた政府によりSYSSの活動は監視され、時にメンバーが襲われることもあったという。
このおだやかな女性が若かりし頃、師の教えに賛同し混乱した社会のなかで、人々のために奉仕していたのかと、尊敬の眼差しで見てしまう。
師のエンゲージドブディスム、行動する仏教の生きた証だ。
(こちらは師が、青少年社会奉仕学校School of youth for social service:SYSS)を設立する前後のことを述べた論文)
https://plumvillage.org/wp-content/uploads/2019/11/SYSS-brochure-ALL-pages.pdf
(こちらは、プラムヴィレッジのサイトにある青少年社会奉仕学校に関する記事のPDF資料)
ベトナムにおけるプラムヴィレッジ その背景
ベトナム戦争の終結を訴えたかどで国外追放された師が、39年の国外追放ののちベトナムに帰国を許されたのは2005年。
革新的な師の教えに共鳴し、この年、ベトナムで多くの若者が師の元で出家し、ベトナム中央高地の般若寺というお寺が僧侶たちの修行の場として提供された。
しかし2009年にその般若寺は、政府により閉鎖されてしまう。
師のベトナム国家のあり方への提言や、不正義に対しての声明をよしとしなかったベトナム政府は、般若寺の活動を制限する措置をとりはじめ、強制的に僧侶たちを立ち退かせようとする。これに反発した国際社会からの抗議にもかかわらず、政府の弾圧は続き、2009年12月についに解散させられてしまう。今現在も、ベトナムではプラムヴィレッジの活動は公式に認められていない。
(以上は、以下のプラムヴィレッジの記事を参考にしました)
ご夫婦は、行き場を失った僧侶たちのうち、30-40人ほどをこの家にかくまったという。
動乱の世の中で、不正義に屈せず、かつ非暴力を通そうとした師と、その信奉者や弟子たち。
マインドフルネスのゆるぎない智慧と慈悲の実践。
仏教を行動としてあらわす。
これこそが師の教えであり、それに共鳴した人々の生き方なのだと思う。
https://plumvillage.org/articles/blog/monastic/plum-village-vietnam-background
言葉が通じなくても
ベトナム語のできないわたしはほとんど会話に入れないのだが、旦那さんと二人になったときに、スマホの翻訳アプリを使って簡単な質問をしてみた。
ここにはどれくらい住んでいるんですか?
どんなお仕事をしていたんですか?など。
すると、ここには40年住んでいる。 師の手伝いをしている。 政府の役人だったと、英語で伝えてくれた。
やっぱり、直接お話ができるのはいい。
込み入った事情を理解できなくても、やさしさや思いやりの気持ちの交換はできる。
むしろ、そのほうがダイレクトに心のエネルギーが伝わるような気がする。
余計な知識は、時につながりの邪魔をする。
知識や意見を得意げにひけらかさなくても、わたしたちはただ、慈悲と思いやりのエネルギーを交換していればいいのではないか。
素朴に、かつ力強く生きる菩薩のような皆さんとのかけがえのない出会いだった。
あたたかい思いを胸に、タクシーで僧院のあるカムラン Cam Lâmへと向かった。
追記:
般若寺についてのプラムヴィレッジの記事をいくつか見つけた。この要約もいずれ日本語で紹介したい。
般若寺を追われた弟子たちへの師からの手紙(2009年)
般若寺への弾圧を不安と混乱を乗り越える公案としてみることを促す師の言葉(2010年)
師の逝去後に書かれた在家信者の記事(2022年)
2024年8月12日
続きます。
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