自分から人と距離を置きだした小学6年生
小学6年生になった時に、またクラス替えがあり、最悪すぎたクラスが解散した。
学校側でもその前の年の出来事から問題児をある程度把握できていたので、その子たちは4クラスに渡ってバラバラになり、ベテランの先生のクラスに入れられたりしていた。
6年生のクラスではまたあまり知らない子が多かったように思うけど、リーダー格の女子と違うクラスになったので、私はとりあえずホッとした。
中学受験組にとって、6年生はラストスパートの1年になる。
私が通っていた塾では、受験組用の特別クラスなどもあり、
小学生ながらかなりハードなスケジュールをこなしていた。
その時の私はもう学校生活などどうでもよかった。
どうせみんな私の事なんて好きじゃないし。
友達だと思っても影で悪口言ってるんでしょう?という諦め。
そして、誰かと仲良くなる→また突然裏切られる、のループを繰り返したくなかったので、自分から近づく事をやめていった。
6年生はベテランの女の先生が担任となり、授業がスムーズに行えた。
活発で運動できる子たちは休み時間にバスケをしたりしていたけど、私は休み時間に塾の課題をしていた。
何としてもここから離れるため。
こいつらと絶対違う中学に行くため。
志望校に落ち、公立の中学校に行くハメになったら終わりだと思った。
必死だった。
6年生の時も記憶が断片的にしかないのだが、図工の時間が好きだったのを覚えている。
今思えばものすごく変わっている男の先生が図工の先生として私の小学校へ来て、私はその先生とウマが合った。
唯一ハッキリ頭の中に映像として残っている記憶がある。
図工室にて絵を描いている時に、私の絵を見た先生が
「今の気持ちがしっかり出てるね」
と言った。
私は夜の海辺の絵を描いていて、沖の方はそれはもう真っ黒に塗りつぶしていた。
黒・紺色・濃い紫、のグラデーションが絵の四分の三ほどを締めていた。
何も見えないダークなトンネルみたいに。
その前から私はずっと暗いトンネルにいたのだと思う。
自分の事が醜くしか思えず、嫌いで嫌いでたまらない上に、友人だと思っていた子も実は私の事が嫌いで、何をしても裏目に出てしまう。
それ以外にも、父親が少し目立つ仕事をしており当時はテレビ出演などもあったため、その事についてもコメントされていた。
「お父さんすごいね、お金持ちなんでしょう?」「うちのお母さんがあんたのお父さんは偉い人って言ってたよ」「だから頭いいんだね」
一見中傷コメントに見えないこの言葉は、公立小学校の一般生徒にとっては、仲間に入れない十分な要素になる。
このおかげで私はたくさんの状況で”あの子は違う”という扱いを受けてきた。
自分が原因ではない事でも仲間はずれにされ、自己肯定感などとというものは早い段階でなくしてしまった。
小学校を卒業する年の2月、私は希望していた私立中学に無事合格した。
合格=助かった、と思いこんでいたから、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
まさかその2年後に、パラダイスになるはずだった中学校へ行くのを完全にやめることになるとは思わなかった。