小3でロンドンに引っ越した私のこと
こんにちは。
私は小学3年生から小学校卒業までの約4年間をイギリスのロンドンで過ごしました。いわゆる帰国子女というやつです。
(ただし、日本人学校だったのでバリバリの帰国子女というわけでもないです)
今回は、ロンドンで暮らし始めてすぐの頃の思い出話です。
ロンドンに引っ越すことになった経緯と暮らした家のこと
父は海外特派員
私の父は新聞記者で、家にいることはほとんどなく、国内外を飛び回る人でした。
報道の仕事ですから、事件や政治の大きな出来事などがあればすぐに取材へ。
昭和から平成に変わるときも、ベルリンの壁が壊れるときも、その渦中の場所に出張に行く、みたいな人。
そんな家庭に生まれてしまったので、私は転勤族の子としてあちこちに引っ越して暮らすことになります。
すでに何度目かの引越しを経ていた小3のとき、父のロンドン支局赴任が決まりました。
私は、英語なんて全く話せず、ロンドンがどこにあるのかもよく知らない状態で、ある日突然ヨーロッパに住むことになったのです。
Wembley Studiumのすぐ近くの新居
私が暮らすことになったのは、サッカーやコンサートの会場として名高いウェンブリースタジアムから車で5分ほどのところ。
メトロポリタン線Wembley駅のお隣のPreston Roadが最寄駅でした。
ロンドンといっても郊外です。
静かな住宅街に「セミデタッチドハウス」と呼ばれる家(2軒の左右対称の家が繋がった長屋)が立ち並び、曇り空と湿った空気もなんだか幻想的で、繰り返される引越し(しかも何もわからない海外!)にどんよりしていた私は、ようやくイギリスという国に興味を持ち始めます。
新居(といっても築50年はありそう)はガラスに囲まれた明るい玄関で、かつて使われていた暖炉がリビングにありました。
お客様が来たときに使うディナースペースの他に、家族専用の朝食スペース。
広い庭にはリンゴの木、洋梨の木、ラズベリー、ブラックベリー、ピンク・黄色・白のバラ。さらにはウォールナッツ(胡桃)の木を目当てにリスが来たり。
そういえば、不思議の国のアリスやピーターラビットもイギリスのお話で、ファンタジーなものが好きな私にとっては、なんだかおとぎの国に来たみたいなわくわくした日々が始まりました。
ロンドン日本人学校への転入
転校生しかいない学校
何度目かの転校生になった私は、ロンドン日本人学校の3年生になりました。
教科書は日本の公立学校と同じもので、先生たちも日本人。
父親が海外転勤になったのでロンドンに来たという子ばかりなので、全員が転校してきた子であり、また、全員がいつか転校していくという一風変わった学校でした。
不安な気持ちで転校してきた私でしたが、生徒も先生も転校生に慣れているので、すんなりと受け入れてもらえたように思います。
レベル分けされた英語の授業
普段の授業はクラス単位でしたが、英語だけはレベルに応じたものとなっていました。
日本から来たばかりで、英語を習ったことのなかった私は一番下のクラスへ。
そこだけが日本人の先生で、英語の読み書きや生活に必要な英会話を習い始めました。
英語授業のクラス替えは毎学期あり、転入した次の学期には1つクラスが上がってネイティブの先生のクラスへ。
帰国する頃には上から2番目のクラスになり(一番上のクラスは現地校に通っていた経験のある子が占めるネイティブ級レベル)、イギリスでの日常生活には困らない英語力になりました。
学校行事のお出かけ先はイギリスらしさ満載
転入して最初の行事は写生大会。
学校全員でイギリスの国会議事堂のあるテムズ川にバスで向かい、水彩画でビッグベンをスケッチするというイベントでした。
遠足はウィンザー城のある、ウィンザー・グレート・パークへ。
白雪姫の絵本に出てきそうな、真っ赤に白の水玉模様のキノコや、ダチョウの卵くらい大きな白いキノコがたくさん生えていて驚きでした。
そのほかの授業そのものは、日本の学校と大差ないものだったと思います。
(日本の公立小学校は2年しか行っていないのでわかりませんが。。)
国内旅行のノリでヨーロッパ各国を訪れる長期休暇
父のロンドン支局赴任は4年の期限付き。
周囲の同級生も似たような状況で、夏休み・冬休み・春休みの長期休暇はヨーロッパの他の国に旅行するのが定番でした。
学期末になると、
「今度の休みはどこに行くの?」
「うちはドイツ!」
「去年行ったけど、良かったよ!」
みたいな会話が小学生たちの間で交わされるのです。
(今思うと、どんな学校・・・)
最初の海外旅行先はパリ・ローマ・マドリード
メルカトル技法の世界地図で見るとヨーロッパは広いですが、実際は意外と狭いので、ロンドンからヨーロッパの主要都市に行くのは、東京から札幌に行くくらいの気軽さだと感じています。
ロンドンに住んで最初の長期休暇、はしゃいでいる両親がチョイスした旅行先は、ヨーロッパ旅行のド定番、パリ、ローマ、マドリードの3都市に2泊ずつの弾丸ツアーでした。
昔のことなので正直あまり覚えていないのですが、ニセ警察にパスポートを盗られそうになったり、2泊ずつだと弾丸すぎて時間に追われたり、波瀾万丈だった記憶がうっすらとあります。
小学3年生で8歳の私にとっては、英語もまだわからないのにフランス語・イタリア語・スペイン語になってさらに言葉もわからず、歴史的な背景もわからず。
私がヨーロッパ旅行を楽しめるようになるには、ここから1年くらい後になります。
ちなみに最初にヨーロッパ旅行楽しいと思ったのは、聖闘士星矢に出てくるパルテノン神殿、ポセイドン神殿のあるギリシャでした!
旅の記録については、また別の機会に書いていければと思っています。
大人になってからロンドンで過ごした子供時代について思うこと
なかなかレアな体験が色々とできた点はよかったなと思っています!
帰国子女でよかったなと思う点は、
英語に対する抵抗が少ない(中学高校は英語勉強ゼロでも優等生)
いろんなバックグラウンドの人たちと関わるので、お互いに気持ちのいいコミュニケーションを心がけるように
工夫して困難を乗り越える力が身についた(当時はiPhoneもないから翻訳も道案内もない)
などなどです。
帰国してから苦労した点は実は色々ありますが、それはまた別の機会に。
ではでは。