〈 仏法 〉老いからの解放 - 人間の4つの苦しみ -
仏教の教えの中で、釈迦(ゴータマ・ブッダ)が四門出遊(しもんしゅつゆう)と呼ばれる体験を通じて悟りを得るまでの過程の中で老いからの解放のエピソードがあります。
老いからの解放は、人間の永遠なテーマだと思いますが、今回はこのテーマについてお話ししたい思います。
このエピソードは、彼がまだ王子として生活していた時期に起こった出来事です。
四門出遊のエピソード
1. 出遊の背景
釈迦がまだシッダールタ王子であった時、彼は父王により宮殿内で豪華な生活を送るように育てられ、外界の苦しみや現実から隔離されていました。しかし、ある日、彼は外の世界を見たいと願い、外出を許されました。
2. 四つの出会い
王子は四回にわたって宮殿の外に出かけ、次の四つの象徴的な存在に出会いました。
老人
初めての外出で彼は老いた人に出会います。彼は初めて老いという現象を目の当たりにし、人間が誰も老いを避けられないという真実に衝撃を受けました。病人
次に、彼は病気に苦しむ人に出会います。これにより、健康な体もいつかは病に侵されることがあると知りました。死体
三回目の外出では、死者の葬列に出くわします。これによって、死という避けられない現実を知り、生と死の無常を強く感じました。修行者(沙門)
最後の外出で彼は修行者に出会います。修行者の静かな姿に感銘を受け、彼もまたこの世の苦しみから解放される方法を探る決心を固めました。
老いに関する解放の教え
釈迦はこれらの体験を通じて、生老病死という人間の根本的な苦しみ(四苦)に気づきました。そして、これらの苦しみから解放される道を求めて出家し、最終的に悟りを開きました。彼の教義の中では、老いに対する解放は以下のような教えに集約されます。
無常の理解
すべての現象は無常であり、変わり続けるものだと理解すること。老いもまた、その一部です。執着の捨て去り
物質的なものや自己に対する執着を捨て去ること。老いに対する恐れも執着から生じるため、執着を断つことで苦しみから解放されます。八正道の実践
正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念(心の集中)、正しい定(瞑想)を実践することで、心の平静と解放を得る。四諦の理解
苦しみの存在(苦諦)、苦しみの原因(集諦)、苦しみの終わり(滅諦)、苦しみを終える道(道諦)を理解し、それに従って生きること。
釈迦の教えは、老いを含むすべての苦しみから解放されるための智慧と実践の道を示しています。
彼の教えは、心の平和と究極の解放(涅槃)を目指すものなのです。
また、若さからの解放のエピソードも1つお話ししたいと思います。
このエピソードをYouTubeで見たときに、この悩みを抱えている方は多いのではないかと思いました。
現に私の77歳の母もまだこの苦悩に囚われていることを垣間見たのでご紹介します。
バリカの老婆
バリカという老婆は、若い頃は街で一番美しいと評判の美女でした。
ただ、歳を重ねるにつれその美しさは、失われていきました。
彼女はその変化に対して、非常に悲しみ苦しんでいました。
Buddhaとの出会い
ある日、バリカは釈迦(ゴータマ・ブッダ)の説法を聞く機会がありました。
彼女はBuddhaに対して、自分が老いによって美しさを失ったことを嘆き、若さと美しさへの執着を手放せない心情を訴えました。
Buddhaの教え
Buddhaはバリカに対して、次のように語りました。
「バリカよ、若さや美しさは一時的なものであり、必ず失われるものです。人の価値は外見ではなく、その心と知恵にあります。真の美しさとは、内面的な知性や慈悲の心から生まれるものです。」
さらに、Buddhaは次の例え話をしました。
「美しい花が咲いても、やがては枯れてしまう。しかし、その花が実を結び、新たな生命を育むことができれば、その価値は永遠に続くのです。同様に、あなたの知恵や慈悲の心は永遠に続くものであり、それが真の価値なのです。」
この教えを聞いたバリカは、若さや美しさへの執着を手放し、自分の内面的な成長と知恵を大切にすることを決意しました。
ただ、なかなか手放すことは難しかったのですが、何度かBuddhaところに通うにつれて見える景色が変わっていきました。
久しぶりに街を歩いて周りを見回してみると、歳を重ねた女性たちが楽しそうに談笑しているのを見かけました。
そこに、苦悩はなく、皆笑顔でした。
こんなにも楽しそうで、また自らを恥じることなく、知性に溢れている姿を目の当たりにして、今まで閉ざされていた心に光が差し込んでいきました。
彼女はその後、Buddhaの教えを守るとこと改めて決意しました。
他人への慈悲の心を育み、知恵を深めていくことにしました。
教訓
このエピソードは、外見や若さに執着することの無意味さと、内面的な知恵や慈悲の心の重要性を教えてくれます。
老いは誰しもが通る避けられない現実であり、若さは無常(虚い行くもの)であることを悟しています。
心の成長と知恵は永遠に続くものであり、それが真の価値であるというBuddhaの教えが示されています。
このようにして、仏法の教えは人々に外面的なものよりも、内面的な成長を重視することを促し、真の幸福と安定を見つける手助けをしています。
その手助けとなるのが、瞑想です。
瞑想は、自分自身の内側の声を聞き、その声に耳をかけ向け、過去を再定義していくことに最適です。
再定義することで、過去や苦しみから解放され、今を取り戻し、これからの人生を大切に生きていける手助けとなります。
いかがでしたか?
瞑想を行う理由は人それぞれだと思います。
ただ、瞑想を行うことで享受できるものはとても大きいということは変わりませんね。
この世の中は無常であることを悟り、あらゆる執着を手放す手助けとなります。
Buddhaは、執着はなかなか手放す方ができないものであるとも伝えています。
だから、手放すための練習が必要であると言います。
執着や苦悩を手放すことができると、幸せだと感じることに変化が出てきます。
今まで気づかなかった自然の美しさや家族の優しさなどから、幸せ感を得られるようになったりします。
また、幸せ感は自分の外側にあるのではなく、自分自身の内側にあるのだということ。
本当の意味で腹落ちさせたいですね!