人間の中心は肚(ハラ) - 内なる光と繋がる -
腹に落ちたのでブログにしたい思い、徒然なるままに書いています。
日本語って、ハラについての表現が多いですよね。
腹落ちする
腹を立てる
腹を探り合う
腹を割って話す。
などなど。
腹落ちするは、納得すること。
腹を立てるは、怒ること。
腹を探り合うは、相手の考えを探ること。
腹を割って話すは、本音で語り合うこと。
ここからもわかるように、腹に本音や感情があることが明白ですよね。
日本語って本当に奥深いです。
私は、頭で考えているようで、本当は頭では考えていないのかもしれません、
頭で考えていることは、表面的なことだったり、反射的な受け答えだったりするのかなぁと思うこの頃。
深く理解するためには、腹まで落とさないと納得できない。だから、物事を噛み砕いて理解しようとするのかもしれませんね。
噛み砕かないと、喉元を通れないですもんね。
初動は物事を頭で受け止めて、考えて回答しなくても良いことは腹まで入れず、頭で回答している感じがします。
頭で回答したことって、杓子定規なことだったり、規則性のあるものだったり、パターン化されたものなので反射的に返すことで、省エネ対応していると感じます。
一方、ハラまで入れて考えないとならないことは、その場では即答することができない持ち帰り案件で、反射的に回答するにはリスクを伴うものが多い気がします。
でも、現代ってすごくスピードが求められるし、美徳だったりもするので、かなり考えることを簡略化し脳の方へ感情や思考を最大限権限に委譲をしているように感じます。
これは、私の思考パターンなのかもしれないです。
でも、全てではなくてもそういうところありませんか?
注力するところとそうでないところでエネルギーのコントロールをしている感じ。
例えば、クライアントからの宿題についてはじっくりと考えますが、今日のランチ何を食べるかなどは考えないというかパターンで何を食べるか決めてるとか。
火曜日だから、どこどこ。
とか、
今日は忙しいから、コンビニ弁当にしよう。
*コンビニ弁当が悪いわけではないです。
でも、忙しくなかったら。
クライアントとのランチ会食だったら、もっと考えてランチをとりますよね!
◯◯さんは、お肉が好きだから▲▲のお店を予約しよう、とか。
家族が誕生日でも同じですよね。
ちょっと話が逸れましたが、ハラで考えることは重要なことが多いということを伝えたかったです。
ところで、みなさんどのくらいハラを使っていますか?
腹落ちしないと動けないことは現代ではあまり良いとされていないことが多いですよね。
考えながら動くことが良いこととなることも往々にしてあります。
ただ、腹落ちしていないと力が半減されることもありますよね。自分が納得していないので、言葉にパワーが入らないとか、語尾を濁してしまうたか。
ハラに乗せた言葉って、逆に説得力があったり、話す姿にオーラがあったり、自分のハラから相手のハラに伝わる感じがありますよね。
感情もハラ(腑)にあるので、相手の感情を動かすことができると思います。
だから、ハラから声を出すことって本当に大切だと思うのです。
じゃないと、アイツは腹の中で何を考えているかわからない、となってしまいます。
そして、自分自身も反射的な簡略化されたパターンでの対応ばかりしていると、自分のハラの声がわからなくなってきます。
それが、私なのですが。
最近瞑想の中で、内なる自分と向き合いましょうということをよく言われます。
私自身も自分の奥底に眠っている自分がいるように感じるのです。
人間5層説というのがありますが、どの層の自分と対峙できているのかなと。
今の私は表層の私としか対峙できていないと感じてます。
だから、日々の瞑想がとても重要なのだと感じています。
もっともっと、自分の声を聴き出してあげることが重要なんじゃないかと。私は私自身のハラを探っています。
本当に大切だと思うこと。
本当にしたいと思うこと。
本当に私が満たされることを探っていきたい。
ヨガに出会って、ヨガについてよく考えますが、ヨガとはアーサナのことだけではない。
これもよく聴く言葉ですね。
また、サマディだけを目指すものでもない。
心の平安や無常を理解することでもあります。
自分の心と向き合うことで苦悩から解き放つものでもあり、知性を得るためのものでもあります。
自分自身の使命や役割に気付かされることも。
なので、このハラというものはとても重要なのです。
このハラとは、丹田です。
ここが人間の体の中心なのです。
ヨガだとアナハタチャクラ(ハート)が、センターチャクラと言われています。もちろんアタハタチャクラもとても重要なチャクラです。
先日、チベット仏教を学んだヨガ講師のshala先生からは、このハラを中心にエネルギーをコントロールすることを教わりました。
なので、このハラもあなどれないと考えています。
ハラには光輝く雫があると言われているのです。
この丹田の雫を軸に意識してポーズを取って見ると、そのことがわかるようになってくるのです。
逆に、日本人は丹田と言われた方が、チャクラと言われるよりもピンときやすいかもしれませんね!
ヨガをする時、瞑想をする時、この丹田を意識することで、内なる光と繋がれるようになってくると思うので私も修業中です。
そして、
バクティとは、内なる神と繋がること。
という話をジョーティッシュの先生から伺い、外に求めるのではなく内なる神と繋がることの話が、このハラの重要性とバチコンハマった感じでした。
*これは、私なりの解釈です。
全ては、内なる宇宙にある。
それを感じられるように、また瞑想をつづけていきま。