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幻想の中に

私の脳内旅行P-3です。

会社の同僚4人で行った能登半島。
自然というだけの静けさと、波の音だけ。
暗闇に近い空間を味わって
自分自身が浄化されたように感じたことを思い出す。

奇麗な景色をもとめてNET徘徊していて
ふと、思いだした場所。
今年1月の地震でどうなったのだろう?と
酷い被害だったから、多分無くなってる?と
検索してみるとサイトがありました。

石川県(能登半島)の先っぽにある「らんぷの宿」
行かれた方はいらっしゃるかも?
写真を撮ったはず、と探してみたんだけど
どこに置いたのか?(多分、段ボール箱の中)

赤矢印が(らんぷの宿)所在地
能登半島先端

昔は船でしか訪れる事が出来なかった、
奥能登の秘湯中の秘湯と呼ばれる一軒宿でした。
その歴史は古く、源平合戦で1185年、
下関東方、檀ノ浦で最後の戦いに敗れ、平時忠らと共に
五隻の船団で、能登に下った刀禰水軍直系の末裔です。
刀禰(とね)水軍とは、琵琶湖の堅田に位置する水軍で、
当時は竹生島や琵琶湖全体の水利権を有し、
堅田三豪族として名を馳せ、800年以上経った現在でも
当時の繁栄を「堅田湖族フェスティバル」と言う形で
毎年開催されている程です。

客室へ向かう廊下ですね
食事をした部屋・この暗さでした
今は明るくしてのサービスに変わっているようです
料理も豪華になっています。お魚と山菜料理の素朴な料理だった記憶。
浴室も改装されて、今は電気が使われている
利用した時は本当にランプだけで夕方か朝だけだった記憶。
客室 利用当時はもっと暗い部屋に何もない
宿泊した時と同じ客室・電気は無かったからもう少し暗かった
部屋から海

比叡山からの鎌倉時代の仏像、
新潟県の天正6年上杉景勝からの御朱印状等々も有し、
当時の繁栄を忍ぶ古文書も残っています。

宿全景、周りには当時は何もありませんでした。外装も奇麗になっていますね
ここも利用時はありませんでした

とても奇麗に整備されています。
私達の宿泊時は、宿泊は8組(2名1組)だけ?に限定されていて
古い建物にテレビも何もなくて、泊まっていたお客さんたちと食事の後、宿の主人の話を聞いて歓談して楽しかった
記憶があります。
名残の地は探検をするような楽しさがありました。
道もきっと整備されているのでしょうね。
部屋は本も読めないくらいの暗さ、二宮尊徳なら読めるか?
早く寝て、朝早く目覚めて断崖の上でみんなでスケッチ。
海はとても奇麗だった記憶があります。
群青色(ぐんじょういろ)の海。

改装されて綺麗になっているけど、もう一度行きたい。
日本の古民家の中では群を抜いている名所だった。

以下は、いまサイトに揚げられている案内です。
やはり、地震のつめあとは色濃く残っていますね。

ランプの宿は、昨年までのHPのアクセス解析の数値が
年間120万人を超え、そのうちの約1万人のみが
お泊まり出来る宿でした。
今年1月1日に起きた能登半島地震により、
スタッフ67名のうちほぼ全員の家が倒壊、半壊となった他、浄化槽が破損し、現在は長期休業を余儀なくされ、
再開の目処が立っていません。
しかし体制が整い次第、再開の意向です。

14代目当主  刀禰秀一

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