自然の言葉たち
わたしたちは、たくさんの風景や生き物に出会いますが、
彼らは人間とは違う秩序と哲学にそって
日々を営んでいるように感じます。
そんな自然のなかから、ひろいあげた言葉をお届けします。
日常が彩りあるものになりますように。
草花が言う「したたかさ」
草花は素朴でありながら、わたしたちに
とても大切なことを問いかけてくれます。
草花は、常に自分の出来ることを淡々とこなしています。
日の光をいっぱいに受け止め、エネルギーを作り、
水や養分の循環を生み出し、そして、時期や季節に合わせて花開くタイミングを窺っています。
いつでも、自分で自分を生かす活動をやめないのです。
人間は、気づけば背伸びをし、余裕を失い、勝手に、
いろいろなものを、背負いこんでしまうような気がします。
いつしか自分の出来ることや役割を忘れてしまい、
枯れたりしおれてしまうこともあるのです。
草花が「自分が出来る範囲のことをやれよ〜」と
言っているような気がします。
周りの環境がどうであれ、自分の出来ることを
ひたすら積み重ねることが大切と。道端で出会う草花からは
そんなメッセージを感じます。
苔が言う「自分を活かすこと」
苔がまとっている独特のたたずまいを眺めます。
じつは苔って、とても生き方が上手な植物なのです。
苔は地味な存在だと思われがちですが、その適応能力は
すさまじく、どんな場所でも生きていけます。
南極や北極でも生息でき、カラカラに乾燥した場所でも
休眠(乾眠)をして凌ぐことができます。
苔は自分の活かし方をとてもよくわかっているんだなと
眺めるたびに思うのです。
「私は自分のことを活かせているのだろうか?」と
考えさせられます。人知れず適応していく苔と、
自分のことさえ、いまいちよくわからない人間との
対比にとまどってしまいます。苔たちが様々な環境下で
適応しゆっくりと苔むしていくように、
人間もどこかで、自分を活かしながら、
ゆっくりと苔むしていけたら良いなあと思います。
水が言う「“今”に戻ってくること」
自然と触れ合っていると、特に水からは生きるパワーを
貰える気がします。夏の暑い日には、水に触れると
気持ちが良いですよね。冷たい水に手を浸すと、
ひんやりとした感覚や、濡れる触感がわかります。
落ちゆく滝を見上げれば、ただただ、圧倒される。
ちっぽけな人間を感じます。これらの感覚や観念は、
人間に「今この瞬間を生きているのだ」ということを
思い出させてくれるような気がします。
後悔がつのった過去でも、不透明な未来でもなく、
「今ここに」存在していなければ得られない
たくさんの刺激が水にはあふれています。
日常を過ごしていて、自分の意識が、過去や未来ばかりに
行ってしまうことはありませんか? 過去をかえりみる
ことも、未来を夢想することも大切ですが、
今現在の意識が遠くに行きっぱなしでは、
自分が何を感じているのか、分からなくなってしまいます。
いろいろな時間軸に散らばっていた自分を、
今の自分に集められること。
それが人生の醍醐味の一つだと思います。
今を生きる自分の目で世界をみたとき、普段とはまた違った角度で世界がみえてくるかもしれません。
景色が言う「自分を形づくるもの」
自然は、人間に何も求めないし期待もしません。
自然の織りなす景色の中にいると、
自分の役割や、立ち位置をいったんわきに置いて、
ありのままの自分でいられるような気がします。
そうすると、自分が大切にしている価値観や
抱いている感情がフッと顔を出すことがあります。
日常では気づかなかった色々なものが、
景色の中で、浮きぼりになってくるように思うのです。
日頃、流れては消えゆくものを拾い上げていくと、
「うまくやろうとしなくても、流れに身を任せればいいか」
という気にだんだんとなっていきます。
それは自分という形がはっきりして、
この自分自身を、たずさえて生きていくのだということを
強く自覚するからなのかもしれません。
「なるようにする」ことも大切ですが、
「なるようにしかならない」と割り切って
身を任せてみることも大切である気がします。
『自然はすぐそばにある』
自然はどこまでも自由であり、そして
身近にあふれています。面倒な計画を練る必要もないし、
何なら目的も手放してしまっても良いと思います。
なぜなら、自然は日常に溶け込んでいるものだと
思うからです。矛盾するようですが、
「何も求めないからこそ、真に求めているものが見つかる」
心安らぐ空間へと、癒しを求めて
心の赴くままに、ふらっと散策に出てみるのもいいですね。
と、言いながら家の狭い庭と脳内の森を見つめています。
私の脳内旅行の1歩です。