愛されて旅立つ人、父の最後を見送って
今週、義父の葬儀を終え、家に戻りました。オーストラリアのお葬式と日本のお葬式には、いくつか大きな違いがありました。
まず驚いたのは、葬儀が死後2週間後に行われることです。日本では通常、葬儀は遅くとも1週間以内に行われることが多いですよね。友人のお話では、彼女の葬儀が死後3週間後だったこともあるそうです。
埋葬式当日
その日はとても良い天気でした。家を出ると、すでに霊柩車が家の前に停まっていました。とはいえ、いわゆる日本の「霊柩車」らしい見た目ではなく、高級そうな黒い車で、棺桶がよく見える大きい窓がありました。窓から棺が見えます、日本の棺のように顔を見るための小窓はなく、棺の上には大きくて美しい花が飾られていました。父が亡くなった後、初めて私たちはその棺を目にし、胸が締め付けられるような思いになりました。母は涙をこらえきれませんでした。
その霊柩車はゆっくりと走り、私たち家族はそれに続いて車で向かいます。
車で約30分走ると、緑が豊かで海の近くの美しい公園のような墓地に到着しました。すでに多くの方が入り口で待っており、霊柩車は墓地の中をさらにゆっくり進んでいきます。私たちもその後ろを歩いてついていきました。父のお墓に到着するまで、10分ほど歩きました。
埋葬の儀式
父の棺は夫を含む6人の男性たちの手で運ばれました。父の親友が進行役を務め、挨拶とメッセージを読み上げました。その後、みんなで歌を歌い、6人が棺を掘られた土の中にゆっくりと下ろしました。この瞬間はとても悲しく、多くの人が涙を流していました。
父は子どもたちが大好きでした。そして子どもたちも、そんな父が大好きでした。一番泣いていたのは娘を含め小さな子どもたちでした。夫や義兄弟も涙をこぼしていましたが、私はなぜか実感が湧かなかったのか、このときは涙が出ませんでした。
参列者一人ひとりが棺に花を捧げて埋葬式は終わりました。その後、みんな一度解散し、次の会場で行われる追悼式に向かいました。
追悼式
追悼式は父が通っていた教会で行われました。墓地から車で30分ほどの場所にあり、教会では歌、親友や3人の息子たちによるスピーチ、そして父のビデオ鑑賞が行われました。その後、昼食を共にしました。
夫とその兄弟のスピーチが始まった頃から、私は涙が止まらなくなりました。いろいろな思い出が走馬灯のように駆け巡り、父の人生を振り返るビデオでは、父が赤ちゃんの頃の写真や映像から映し出されどんどん老いていくようにビデオ編集されていました。当たり前ですが『どんな人も赤ちゃんから始まり、やがて老いていくのだな』と改めて感じました。
一つ一つの素敵な出来事が写真や映像に刻まれ、私たちの記憶に残っていくのですね。またその私たちもいつか亡くなっていくのですが…。
人生を振り返って
葬式の日は泣きすぎて疲れ切ってしまい、少し落ち込んだような気持ちになりましたが、葬儀を通して、父がどれほど多くの人に愛されていたかを深く感じました。父の人生は愛にあふれていたのだと思います。
私自身も、家族や友人をもっと大切にし、悔いのない人生を送りたいと強く思いました。これからは前を向いて、毎日を大切に、父の分まで生きていきたいと思います。