年の瀬に
やばい。実は頭のなかが完全に締め切りやばい人になっていて、いま、年間回顧の各雑誌のものを読みながら、自分が現代について何を言うか、ということをすっかり考え込んでいる日々でした。
ちょっとnoteも放置していると言うか、もうほんとひとりで暗がりに文章を書いたり、読書したり、息抜きでゲームをしたり、孤独に打ち震えているような状況で、ひさしぶりに「ぼっちモード」にハマっていました。
もろもろありすぎていろいろお答えするのは難しいですが、自発的な意思で立ち止まっている以外には、何も原稿を手放しているものはありませんので、どうぞご安心ください。
なんか死ぬかもしれないと思っていますが、それは私の肉体の問題であって、私の肉体のことはもしかすると私の最近の思索のとは何も関係がないのではないかと思っています。
いま自分が考えていることというのは、なかなか簡単には説明出来ないのだけど、たとえば、ぼくが好きな90年代の歌人たちは、みんな「歴史とかサブカルチャーの影」をしっかり保存していた歌人ばかりだったということでした。
僕が短歌をはじめたゼロ年代以降も、僕自身は彼らの影響下にいたし、まさに、そういう流れが短歌というマイナーポエットでは継続するんだと思っていた。
ところが現代の80年代後半生まれの30代の歌人たちは、もうそんなことは知らないという。
僕達は肌感覚として「世紀末」とか「終末思想」というのをものすごく痛感していた。
僕が小学生の頃、あっけなくソ連が崩壊しました。
あの、秘密主義で、簡単に人を殺したりしていて、独裁的で、でもどことなく独自の文化があって、謎めいていて、不思議とノスタルジーを巻き起こしているあの国や体制、思想やカルチャーといったものが、ぱっと突然消えてしまったことを、ぼくは忘れられないけど、
みんな国がなくなる、あんな大きな国が、あっという間に消えるというのはどういうことかということにリアリティが感じられないのかもしれない。ぼくは2025年、ユーラシア大陸のどこかの日本でも有名の国が、消えていても何も驚かない。
ぱっとけむを巻くようになくなって、そのことをまた20年経って、「あんなすごいことなのに、みんな覚えてないんだね」というふうになるかもしれません。
短歌では、サブカルチャーや、その文化背景を濃厚に記憶した歌いぶりというのは確かにありました。
ただ、いまどうも、仙波龍英さんが手に入らないという。
それだけではないです。高島裕さんの『旧制度』はいまや読んだことがない人が多い。
あれだけ雨後のたけのこのようにあったホームページもなくなってしまって、電脳タウンページみたいない黄色いHPを藤原龍一郎さんがやってたり、
「直久」というホームページもありましたよね。
小林久美子さんと東直子さんのお二人のご姉妹のHP。直久、といって鰻屋と思った歌人がいたらモグりです。
みんな、なくなって、痕跡も残ってないとかすごいです。
短歌の場合、あっというまに入手困難になるから、あのとき普通に見えていたものが読めなくなってしまうことを、ぼくは全く驚かない。
ただ、ぼくの批評は、仙波龍英の短歌について考えることからはじまっています。
そしていまかろうじて手に入る歌人たちも、ほんと「短歌地図が全然違う」んです。
中澤系は単独で中澤系としてそこにいたわけではないし、高島裕のような濃厚な「世紀末のイメージ」を踏まえての「終わらない日常」だったわけで、そこをセットで考えない、中澤系の「戦術としての無垢」なんてありえないから。
枡野浩一さんを批判するわけではないんですが、枡野さんの文体をすこし「甘味が強い」と考じるような感性のほうが「ニュートラル」だった気がするし、(中澤系の歌集の章題は糖衣(シュガー・コート)でした)
現代短歌は、まったくふにゃふにゃしてて面白くないです。ほんとはぼくが異世界転生してきたのに、ぼくは99年から記憶があるけど、「完全自殺マニュアル」を読みつつ、いまの若いものの多数派の「ごらんよビール」みたいな光景ののどかさを嘆く歌人なのです。
裏で短歌講座をやりながらこのことについて考えていたのですが、なぜ、ライトヴァースに俵万智さんと穂村弘さんがいて、仙波龍英さんが忘れられてしまっているのか。
そこから僕の批評はスタートしていたのでした。
仙波龍英、谷岡亜紀(猿岩石じゃないですよ。バックパッカーって)
高島裕、中澤系
この辺の人たち見ないと、多分、みえてこないものがあるんじゃないかな。
こんなことちんたら考えていたら年越しになってしまいました。
裏でこんな事を考えて、ひとでボソボソボソボソ言いながら、年を越す自分の思索に幸があってほしいです。来年くらい。
ではみなさん良いお年を。
来年はより社会詠に近接した歌を発表する一年になると思います。
本年度は大変お世話になりました。
(歌は講座生だけのものなのであえてご紹介しません。ぜひ90年代の続きとしての〇年代をどうぞお忘れなく)
西巻 真