サリンジャー『フラニーとズーイ』を読んで
だらだらと読み続けてやっと終えた
『フラニーとズーイ』
正直、今の私にはまだ全然わかんなかったです。
昨年の秋に、旅先のブックバーで村上春樹信者の店長さんにお勧めされて
『女のいない男たち』を読んだことをきっかけに
村上文学を少しかじってみたいなと思いつつ、
膨大な村上春樹作品から一つを選ぶのが難しく
なぜか村上春樹の新訳したこの本を買っていました。笑
半年ほど積読していた(というより、数十ページ読んで読み切れる自信をなくしてやめた、が正しい)のですが、
たまにくる「おそらく理解できないけど頭に”?”を浮かべながら海外文学に耽りたい症候群」に襲われて、再びこの本を手に取りました。
まあやっぱり何を言いたいのかはわからなかったし、この本で言いたいことってほぼ最後の30ページに凝縮されてるやん?!とツッコミたくなるほど、クライマックスに至る過程は特に難解でした。
ただ、この世の何とも言えない、どうしようもない虚しさに直面して苦しむフラニーに共感する人は多いと思うし、めちゃくちゃ回りくどいけどそんなフラニーを諭そうとする兄ズーイの言葉はちょくちょく刺さりました。
結局ズーイが言いたかったのは、自分の軸を持って生きろってことなんでしょうか...?
でもそんなありきたりな言葉では、
なんだかズーイの伝えたかったことをぼろぼろとこぼしてしまっている気がする。
この本を理解するには知識と教養と、
この世に対する漠然としたモヤモヤが必要なのかもしれないです。
でも、理解できなくても頭を抱えながらよくわからない文章を読むのは楽しいです。
村上春樹のあとがきを読んでから知ったのですが、だいたい『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでから『フラニーとズーイ』を読むのが一般的みたいです。
というわけで順番逆になっちゃったけど、
次はサリンジャーの最も有名な作品を読んでみようかなと思います。