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暗号【ショートフィルムより②】

 人類を宇宙に導く、見えざる「手」のはなしー

 
明かりが灯り、インターミッションの間にトイレにでも行くのか。何人かが立ち上がって部屋を出た。
「おもしろかった?」
 よくわからなかった。
 そう言いながら少女は、あれ、という顔つき技師を見た。思ったより若いひとだ。


「『進化論』は習った?」
 技師の質問に、少女は首を横に振る。
「宗教上の理由で教えないこともあるけど、お嬢ちゃんの歳ではまだなのかな」
「猿が人間に化けること?」
 映写技師は、乾いた笑い声を挙げた。


「生き物は環境に適応して少しづつ変わって、別の種類になっていくんだ」でもね、と言葉を継ぎながら、「ある日突然、がらっと変わっちゃうこともあるんだよ。
 その変化の継ぎ目になる中間種が見つからないことがある。それを”ミッシングリンク”っていうんだ」


 少女の、わかんなーい、と言った表情を見て、技師は付け足した。
「たとえばほら、首の長いキリンの、半分くらいの首の長さの生き物はいないでしょう?」
 技師の喩えに、少女は頷く。


「人類のなかに出現した『変異』も、結局『種』として固定しなかった。彼らの役割は、『旧人類の憎悪を一身に受けること』だったんだよ。
 旧人類が、超能力をもった変異種の駆逐に躍起になっている間に、本当の進化は密かに内面で進行していたんだ。

 しかし、それはのちにわかる話。実はもうひとつの変化が、別の方向から現れた」
「別の方向って?」
 映写技師は天を指さした。
 それを合図に、明かりが落ちて次のフィルムが始まった。

  

  #2 暗号

 待ち合わせに指定されたホテルのラウンジは高級感にあふれ、探偵は場違いな居心地の悪さを感じた。
「このフロアがじゃない。ビル全体が私の所有物件なんだよ」
 打ち合わせ時の、依頼主(クライアント)の満足げな顔がよみがえる。

 ペーパーバックならスコッチかバーボンを注文するところだが、現代の探偵(オプ)は酒も煙草もやらず、夜景を眺めながら健康的なスムージーを喉に流し込んだ。

 時間になっても依頼主は現れず、探偵は暇つぶしにコミュニケータを起動し、画面から「月のロゼッタ・ストーン発見」の記事を選択した。
 月面の試掘坑から、二十インチ四方程度の人工的で平坦な金属プレートが見つかった、との記事だ。
 ヘッドラインには「宇宙人からの伝言か?」との惹句。

 添付された画像に付けられたキャプションには、天然物との説もある、と記載されていたが、探偵にはそうは思えなかった。
 これが異星からのメッセージと呼ばれる理由は、表面に刻まれた模様にある。表象記号らしきその模様は、四種類に分類できるようだ。
 言語にしては数が少ない。四進法だろうか? パズル好きの癖がでた。

 ふと思いついてコミュニケータからデータベースにアクセスし、四つの模様を核酸塩基のA,T,G,Cに当てはめて検索をかけた。

 DNAによる親子鑑定の依頼があるため、アクセス権を得ているのだ。
 組み合わせを変えるとそのうちの一つが、鳥類の上皮細胞成長因子(EGF)配列に九十%相同、との結果が出た。分子進化の速度から逆算すると、恐竜が持っていたであろう配列に相当する。

 ぞくりとしたー

 もし太古の地球を異星からの知性体が訪れ、後代に誕生するであろう地球の知性体にメッセージを残すならば、遺伝暗号は有用なツールと考えただろう。
 なぜならば、それは長い時を保存されていくものだからだ。

 咳払いがしたので顔を上げると、いつの間にか恰幅の良い依頼主が対面に座っていた。
 幇間のような、冴えない中年男の秘書が傍らにいる。
 探偵は慌ててコミュニケータをしまいながら、
「調査報告書です」
 分厚い封筒を手渡した。
 依頼主の愛娘ナオミのカレシが、ひとことで言えば「クズ」であることを証明した報告書である。

 ヤクに手を出しての逮捕歴。女のヒモをしていたときは美人局まがいの恐喝歴がある。
「よくやってくれた。これだけ調べるのは大変だったろう」
 頷いておいたが、実のところ簡単だった。男は脇の甘いクズ野郎だったからだ。

「短時間で、とのご指定だったので限りがありますが、調べればまだ出てきそうです」
「これだけで充分だ。事は急を要する」
 穏やかではありませんね。この男を前にするとつい卑屈な態度になってしまう。
「これから、この場であいつにこれを突きつけて、娘の目を覚まさせてやる」

 息巻いているが、探偵には事情が呑み込めない。
「今夜? 今から?」
「以前、ナオミはあの男と別れたと言っていたが、それはウソだった。今夜、ここで待ち合わせして駆け落ちするつもりらしいんだ」
「なぜ、わかったのですか?」
「これだよ」
 依頼主のコミュニケータに、転送されたメールが表示された。

「娘さんのメールをチェックしているのですか?」探偵はいささか呆れた。「でも文字化けしていて、内容がわかりませんね」
「暗号だよ」
 依頼主は、暗号の解読手順をひとくさり語った。  
「ホームズから公開鍵暗号のアルゴリズムまで、ひととおり調べた」
 最終的には、専門家に解読させたらしい。
「娘の名前と相手の呼び名をキーワードにして、どの記号に相当するかを推定した。あとは芋蔓式だ」

 単純な置換暗号だったらしい。
 解読された文章によると、今夜このラウンジで落ち合って、空港に向かおう、となるようだ。
「駆け落ちともなるとお金が要るでしょう?」
 調査した男は金をまったく持っていない。

「娘の方も手持ちの額はしれている。いざとなれば娘の口座を凍結するさ」
 この男なら本当にやりかねない。
「現金や貴金属の類いは?」
「娘が自由にできるような現金や貴金属は、我が家にもないよ。オフィスの金庫に保管してある。
 私と娘を含むわずかな人間が、生体認証で開けられる。
 オフィスには、いつも私自身が詰めていて泊まることも多いが、今夜は特別だ。あの男の本性を暴いてみせるのは、私にしかできない」

 探偵はしばらく考えていたが、
「もう予定の時刻を過ぎていますよ」
「ああ、そうだな」
 依頼主は時計を見て、初めて不安そうになった。
「老婆心ながら、オフィスのほうを確認されたほうがいいのでは?」
 探偵の勧めに従って、依頼主はインターコムで話し合っていたが、慌てて席を立ってその場を去った。

 あとに残された秘書が、呆気にとられたように訊いてきた。
「どういうことなんだ?」
「娘のほうが一枚上手だったということです」

 探偵は緑黄色野菜のスムージーを追加で注文しながら、
「暗号というものは発信状況がわかり、ある程度のサンプル文を入手すれば必ず解かれるものなのです。
 なぜなら、解読手順を複雑化すると肝心の伝言が相手に誤達する畏れがありますから」

 なるほど。
 秘書は愚かな男ではないらしい。納得したように頷いた。
「もっとも安全な方法は、通信が行われていること自体を秘匿することです。そして通信が秘匿されていれば暗号化の必要はありません」
 青臭い液体を堪能しながら探偵は言った。

「娘さんはプライベートなメールの文章に暗号を使う必要はないのに、これ見よがしに暗号文を使っていた」
「ということは?」
「つまり、これは最初から『解かせるための暗号』だったということです。
 娘さんは親父がメールを盗み読みしていることを知っていたのです。依頼主は苦労して暗号を解き、情報を入手したがために、その情報の真偽を疑う余裕を失った」

「なんのために、そのようなことをしたんだ?」
「それは、暗号を解いた結果どうなったかを見ればわかります」
 不得要領な顔をする秘書に、探偵は答えを言った。

「彼自らここに出向いた結果、本来常に彼が詰めているオフィスのほうがお留守になった。
 生体認証をパスできる娘さんにとって、カレシと駆け落ちする資金を調達する絶好の機会が生まれたことになります」
 あたふたと戻って来た依頼主と秘書のやりとりから、探偵は自分の読みが当たったことを察した。

 依頼主が去ったあと、コーヒーを呑みながら探偵はくつろいでいた。そのとき、ふと疑念がきざした。

 月面で見つかった暗号を刻んだ金属プレート。
 自分のような素人にすら解けたのだから、科学者はすでに解析を済ませているだろう。このプレートは、まさに解かせるための暗号ではなかったのだろうか?

 そのようなことをする目的は? 
 暗号を解いた結果、どうなったかを見ればいい。
「異星人は恐竜時代に月を訪れていた。彼らは実在する」というニュースが流れれば、一時期停滞していた宇宙開発が再開されるだろう。

 それこそが真の狙いではないか?

 宇宙開発に携わる複合体(コングロマリツト)の陰謀か? いや月の岩盤のなかにプレートを隠すのは、人間には不可能だろう。
 やはり、宇宙から伸ばされた手が、導くかのような示唆を与えることにより、人類に宇宙への進出を促しているのか?

 俺としたことが考えすぎだ。
 探偵は苦笑して、カップを置くとラウンジをあとにした。(続く)

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