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【ホラー小説】黒衣聖母の棺(4)

(同一テーマで、ミステリ仕立てにした小説を公開中です。「【密室殺人】黒衣の聖母」) 

(あらすじ)豊後の国が大友氏の領地だった時代、沖にある馬飼い島(魔界島)に、異国の難破船が漂着する。
 島に立ち寄っていた十兵衛は、血抜きされたような異様な乗組員の遺体を検分した。
 そのころ島の娘、いさなは自分だけが知っていた洞窟で、異人の男に出会い、その男が守っていた棺のなかに、黒衣の少女を見た。
 府内で宣教師に育てられ、受洗してジョアンという名を授かった久次郎は、浜長(はまおさ)のトヨに呼び出された。
 トヨは秘かに生き残りの異人を匿っていた。彼女は難病の孫を救うため、異人の信仰する異教にすがろうとし、久次郎に助力を求めた。
 トヨに呼び出されて、その屋敷に参じる久次郎と十兵衛は、扉に心張り棒を噛ましてあった蔵の中で、こときれているトヨを発見した。

(見出し画像は、Enrique MeseguerによるPixabayからの画像)

(承前)
 雨の中、海岸に近い林の中で御爺が嗚咽を漏らしていた。
 竜胆まるよぉー。
「たれがこのように、酷いことを」
 無残に喉を切り裂かれた犬の亡骸をかき抱いて、涙を流す。雨に濡れるのも一向に気にならない様子だ。

 悲嘆に暮れる老人の背後に、黒い影が忍び寄っていた。
 まるで、慈しむように。
 愛しむように。
 背後の影は御爺を見下ろし、その耳元に口を当てながら、囁いた。
 
 ――そなたの苦しみを、そなたの悲しみを、除いてあげましょうぞ。
 御爺は涙に濡れた顔を上げ、首肯した。

 検分吏の一行が魔界島を訪のうたのは、座礁した破船が見つかってから初めての大潮となる日だった。
 村役の左兵衛が、島民一軒一軒に先触れして周った。
「朝方の廻船にて、府内のお代官が来られるとの報せが参った。くれぐれも粗相のないよう心得られよ」

 島民は数艘の一丁櫓と短艇を漕ぎ出し、代官一行を迎えた。
 代官所が置かれている救民郡は在来の朽綱氏がすでに亡く、大友氏の息のかかった田原氏が詰めている。
 当代の宗悦は老齢で、潮が凪いだ頃合いを見計らって裃を濡らさぬよう配下に負ぶさって上陸した。いささか威厳を欠く代官様の来訪に、迎えの村人からは失笑の声も洩れた。

 破船の検分に来たのは、守護代の田原宗悦を筆頭に二十人ほどの吏僚と近臣である。
 宗悦は、小柄でしなびた容貌の渋柿を思わせる役人だった。
 彼を筆頭に田原信濃守、田原伊豆守などを僭称する、いずれも貧相な骨柄が似通った一族郎党引き連れての随行に、大友氏の権勢も長くはないな、と十兵衛は感じた。

「まっこと、魔界の島にふさわしか」
 船酔いに苦しめられた宗悦とその家臣たちは、鄙びた村の様子に嘆息した。隆盛を誇る彼らから見れば、ここは最果ての離島なのだ。

 村役の左兵衛が、額を砂にこすりつけるようにして、一行を出迎えた。
「お代官様には、よくぞ遠路かようなる鄙にお越しなされまいた。本来ならば、浜長の宗右衛門ががお迎えすべきところ、それもならず申し訳のうござりまする」

 主君宗麟と同じく「宗」の一字を名前に戴く田原宗悦は、このような鄙の浜長が宗右衛門を名乗ることに鼻白んだが、伏して奏上する左兵衛の話がトヨの客死に及ぶや、驚きの表情を浮かべた。
 居ずまいを改めての応対ではあったが、骨柄が小さくなにごとにも驚く様は、威厳に欠けている。

 さらに亡き当主の寡婦であるヒサノも伏せっており、とても応対は務まりませぬ。と聞くに及び、早速にも歓迎の宴が始まるはずが、思わぬ運びとなったものよ、とのとまどいが顔に表れた。
「浜長の血が途絶えようか、との際にてござりまする」

 宗悦は慌てた。
 それでなくとも厄介な南蛮船の遭難に係わる検分に加え、家督の争いごとなぞ押しつけられてはかなわぬ。きょときょとと落ち着かぬ目がそう語っていた。
 一島一村のこの島では浜長は事実上地頭であり、その相続問題は六カ国守護である主の判断を仰がねばならない。

「まずは宿じゃ」
 宗悦は問題を棚上げして、そう叫んだ。
 島には検分吏全員を収容できる旅籠などはないため、一行と近習は宗右衛門とその分家筋に分宿した。

 府内にある耶蘇会では、此度の南蛮船の遭難をすでに把握しており、久次郎にも田原らが携えてきた書状が渡されて、事後処理に関する指示が与えられたようだ。
 初めて知ったことだが、破船は加羅に向かう船団の一艘であり、他の一艘がやはり本土に流れ着いて、生き残りの南蛮人を迎えている、とのことだった。

 南蛮人宣教師たちは事態を憂えているようで、久次郎は彼らの文を詠みながら悲痛な面持ちで佇んでいた。
 宗右衛門屋敷を拠点にした田原宗悦は、トヨが自然死ではなく、何者かによって害されたことを伝えられ、さらにその不可解な状況から下手人の特定を願われると、
「我らは南蛮船の遭難に係わる検分がお役目じゃ。先の浜長が女将殺しの下手人探しなどはお役の外じゃ」

 当初は渋っていたが、庄助、左兵衛ら村役に推されて仕方なく当夜のことを聴かされることとなった。
 手代頭の加平が、黒衣聖母が破船から持ち込まれたものであることには口をつぐみ、事の顛末を語った。
「なるほどの。不可思議な話じゃ。ある意味、トヨ女の願いが聞き届けられた、というわけか。皮相な話じゃな」

 猿の手のような皺だらけの腕をしきりに額にやり、考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「トヨ女が害された蔵の中にあった抜け道のことをば、知っていた者はおるのか?」
 抜け道は途中で崩れかけていたが、裏手の崖の中途に出ることができることを確認していた。

「たれもそのようなものがあることば、知ってござりませなんだ」木訥な口調で加平は答えた。「じゃでん、もし知っておった者がおるとせば、手代の仙吉めにござりましょうか。
 彼の者はトヨ様が信が篤うござりましたによって」
 宗悦は満足げに頷いた。

 次の日、朝課もそこそこに宗右衛門屋敷に呼び出された”ぱーどれ”ジョアン久次郎は、不審な面持ちを隠せなかった。
「何故にわたしめが、破船の検分に同行せねばならぬので?」
「万が一生き残りがおれば、通詞が必要じゃで」
 葡萄牙(ポルトガル)語ならば、大まかに意味が理解できる程度の久次郎の語学力は、どうやら過大に評価されているようだ。
 検分吏の一行に付き従って、破船に赴くことを命じられた。

 久次郎は固辞したが、検分吏は譲らなかった。
 押し切られるようにして破船への同道を承諾させられたぱーどれは、憮然とした面持ちで浄めの儀式に臨んだ。
 破船を望む砂浜につくられた、急ごしらえの祭壇に向かって正座した一行は、宗悦が連れてきた真言の僧侶によって祓い清められた。

「どうじゃな。これにて以後息災に過ごせると思えば、儲けものであろうに」
 恩着せがましく言われたが、久次郎にとっては異教の儀式に参加させられたことになり、我慢のならないことだった。

 島唯一の寺の住持である白蓮にとっても、面白かろうはずがなく、
「罰あたりめが、海も荒れようぞ」と呪いの言葉を吐いた。
 その言葉とは裏腹に、残暑は厳しいが天気は良く波も穏やかな海を、田原の一族でいちばん年若の田原信濃守が、一行を率いて短艇が破船を目指して漕ぎ出した。

 宗悦自身は代人の信濃を送り出して直截の検分には同道しない、との言に久次郎は呆れる思いだった。
 その一方、請われもせぬのに検分に同行する者もいた。
「十兵衛殿、お手前も同行するのか?」
「いやなに」十兵衛は取り澄ました顔で、「弥助殿がぜひ代わりにと申されてな」

 南蛮船を恐れた村役の年寄りに替わって、検分の供を買って出たらしい。 
 三食の習慣がない島人にとっては慣れぬ昼餉をふるまわれたのち、一行は数艇に分かれ破船目指して漕ぎ出した。

 悠長なことだな。十兵衛は冷笑し、大友氏の凋落が近いことをいっそう実感した。
 海は凪いでいたが、久次郎は船の縁につかまって青くなっていた。

 四,五十間も漕ぐと、間近に迫ってくる南蛮製のガレオン船の偉容に、一同は圧倒されそうになった。
 近くで見る南蛮の船は圧倒的な大きさを持ち、中腹から突き出した黒鋼の砲門がその力を誇示しているように思えた。
 しかし、この巨船をもってしても自然の力にはかなわなかったのだ。

 船は左舷を下に斜めに傾き、岩礁に寄りかかっていた。船腹には亀裂が生じており、内部は浸水しているようだ。
 短艇を船腹につけると、どこからかくぐもった打撃音が聞こえてきた。
 たれかが船側を叩いておる。一行に緊張が走った。

 周囲を一周して、十兵衛が指さした。「あれを」
 折れた前部の帆柱から垂れている綱が、風にあおられて舷側を叩いている。
 その音が途切れ途切れに聞こえて、中でたれかが合図を送っているように聞こえたのだ。

 一同は拍子抜けし、乗船するための登り口を探した。
 海側左舷の甲板からぶら下がっていた縄に取り付くや、十兵衛がするすると身軽に伝い昇って甲板に乗り込んだ。
 彼が舷側から縄ばしごを下ろし、皆それを伝って甲板に昇った。

 甲板は斜めに傾いでおり、さらに波に洗われて滑りやすくなっていた。皆歩くにも難渋し、久次郎などは甲板に降りるや尻餅をついた。
 葡萄牙王国の紋章が落ちて、濡れている。
 遺体が数体転がっており、腐敗臭が立ちこめて酸鼻を極めていた。

「ひとりも助からなかったようじゃな」
 田原信濃が呟く。
 さるふぃを匿っていることはトヨから堅く口止めされているため、久次郎は気まずい思いをした。
 一方、十兵衛は素知らぬ顔であちこちをのぞき込んでいる。

「仲違いでも起こしたかの」
 操舵室の、仕官らしきふたりの遺体の状況を見ながら言った。
「互いに差し違えたかに見えますな」
 検分吏の侍たちは、十兵衛をどう扱っていいか、困惑していた。浪々の身とはいえ、この若者には貴種のにおいが漂っていたのだ。

「もし争ったならば、互いにもっと傷があるはずじゃ」
「まるで地獄を見たかのような形相じゃな」
 声に出しながら確認するかのように、見て回る。
「嵐の中で惑乱したものか。荒波を怖れず、遙か遠方から航海してきた船員が、いったい何故このような仕儀になったのやら」

 操舵室に入るや、十兵衛は壁面に顔を付けるようにしてにおいを嗅いだ。 
 ふむ。確かに異臭がする。
「香炉か」
 床に落ちていた、掌にすっぽり収まる大きさの白磁の壺を拾い上げた。
 持ち手の部分が欠けており、中からは微かに燻ったようなにおいがする。十兵衛はそれをさりげなく袖の中へしまった。

 船に備わっている避難用の短艇はなくなっていた。
 さるふぃが用いたのだろうが、信濃らは短艇も損壊し、流されたのだと見なした。
 艦内は浸水し、船荷の樽などが浮いている。腐敗の始まった遺体も浮かんでいた。

 船尾のほうが上がっているため、後甲板下の船室は浸水から免れているようだ。
 十兵衛はひとり船底に通じる薄暗い階段に手を掛けた。階段はまるで歯ぎしりのような、ぎしぎしという音を立てた。

「なんの臭いじゃ?」
 船底の客室から、得体の知れぬ臭いが流れてくる。
 それは、まるで生き物のように、十兵衛の体の周りにまとわりついてきた。
 階段の端に引っ掛かるようにして果てていた死体は、くるすを握りしめ、やはり苦悶の形相をしていた。事切れる前によほど恐ろしいものを見たのであろうか。

 客室に使われていたらしい船室に入るや、十兵衛は異様な気配を感じて身構えた。
「たれかおるのか?」
 呼びかける声に呼応するものはいない。
 しかし、何ものかの気配はいっそう強くなってくる。

 瘴気があたりに満ちている。
 十兵衛は無意識に小柄の鯉口を切り、天井までの高さを目測していた。屋内で抜刀する際に間合いを計るいつもの癖だった。

 暗い中に、息づかいが聞こえる気がする。自分の鼓動とはちがう、なにか得体の知れない拍動を意識する。
 闇の中で、黒い装束をまとった誰かの気配を感じた。

 聖母――

 黒き聖母は振り向くや、笑み、忘れられない笑みを浮かべ、次の瞬間ふっ、とかき消えた。
 脇の下に汗がにじみ出る。いくら見渡しても、そこにはたれもいない。
 聖母は確かにそこに存在し、気配も感じたのだが、一瞬にして跡形もなく消え失せた。

 馬鹿な。あれは棺の中の動かぬ遺骸じゃ。
 宗右衛門屋敷の蔵の中に安置され、このような場所におるわけがない。
 遅まきながら冷気を感じ、鳥肌が立った。

 幻か。十兵衛はひとりごちた。
 単なる幻ではないことは、己がもっともよくわかっていた。

 甲板にいた久次郎は、慌てて舷側に駆け寄った。
 波でぎしぎしと揺れるために酔ったせいか、それとも腐臭のせいか、久次郎は青ざめて吐瀉物をまき散らした。
 船底から上がってきた十兵衛が側に寄り、白磁の香炉を鼻先に差し出した。
「これを嗅いでみるがよかろう」

 目をつむっていた久次郎は、香炉の燻ったにおいを嗅ぐうち、荒かった呼吸が楽になっていくのを感じた。
「少しは楽になったかな」
 久次郎は礼を言った。でうすのご加護がありますように。

 十兵衛は苦笑する。
「諸国を巡って、醜いものをも知ったが故の知恵じゃで」
 まだ歳若いのに、老成したその物言いに久次郎は反発した。
「なぜ、そのように申される。おかげさまにて具合も良くなり、感謝しておりまするに」

 十兵衛はちょっと困ったような声音で答えた。「確かにな」
 操舵室の中には瀟洒な戸棚があり、書物が収められていた。
「異国の帳簿じゃ」
「下がっておれ」
 突然、検分吏たちが操舵室を封鎖し、同行の島人たちは室から閉め出された。

 田原信濃たちは、水を吸ってふやけた航海(ロ)日誌(グ)などを回収した。
 久次郎が呼ばれ、読んでみるよう命じられたが、彼の語学力では内容はわからなかった。
 信濃らは、他にも積み荷の一部を回収した。
「生き残りはひとりもおらぬことをば、確認しもうした。急ぎお館様にお伝えせねば」

 九州の雄、大友氏は異国の文化吸収に熱心であり、異国の富よりも知識を求めていた。
 一方、信濃らは厄介ごとが増えぬうちに退散すべし、との吏僚に特有の習性が頭をもたげたようで、早々に撤退に移り始めた。

 その夜、お役を果たした田原宗悦ら一行に対する、供応の席が設けられた。
 貧しい村なりに贅を尽くした山海の珍味が盛られ、宗悦は破船の検分が事なく終えたこともあって、満悦の態だった。

 上機嫌の宗悦に、加平がおそるおそる尋ねた。
「さて、トヨ様を害した下手人の方にてござりまするが、目星はつきましたじゃろか?」
「実は」村役の左兵衛が言いたした。「今朝方、村の老人が害されておるのが見つかりましてござりまする」

 村人に動揺が広がりつつある。
 宗悦は、上機嫌の体で、「そのことじゃ」と言った。
「蔵の抜け穴は、屋敷うちに向かう途中にて出口があったそうじゃな」
 屋敷内のお堂に通じており、ひと一人ならば何とか通ることが可能だということがわかっていた。

「ぬしらにはわかるまいがの。儂にはすでに下手人が見えておる」
 末席に座していた十兵衛は、次に来る言葉の予想がつき苦笑いした。
 宴には、固辞する久次郎も参加させられていた。
「爺さまがおらぬでは、亡きトヨ様も成仏できませぬ」
 久次郎は宴の最中にそっと抜けだし、離れに行ってさるふぃと話し込んだ。

 その夜、浜に近い林の中で、何かを探す久次郎の姿があった。
【ホラー小説】黒衣聖母の棺(5)に続く)

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