星野源と自虐心
星野源は私のすべてだった。
父は車でずっといろんな音楽をかけている人で、その中のひとりがシンガーソングライター「星野源」だった。
当時は「ばかのうた」と「stranger」のアルバムのみ父のiPodに入っており、私はその暖かい音と歌詞のダークさが好きだった。
小学5年生の誕生日にiPodを買ってもらい毎日イヤホンをして音楽を聴くようになり、その中で「SAKEROCK」というバンドに出会った。
歌のないインストバンドで勉強中にちょうど良かったし、マリンバやトロンボーンの音も優しい音色で穏やかな、でもなぜか悲しくなるような曲が、色々あったそのころの私は気に入っていた。
アルバムを最初から流していると、おじいさん先生という曲に出会った。
悲しいけど愛しいような、よくわからないようなとても現実的のような。ラララと歌いながら何とも言えない気持ちにさせてくれる、インストバンドであるSAKEROCKでは珍しい歌がついた曲だ。
その声が「星野源」だった。
聞いたときは確信が持てなかったが、違いないと思い仕事帰りの父に真先に聞くと星野源がシンガーソングライターとして活動する前に組んでいたバンドだと知った。
私は舞い上がった。何も知らず、声で気付けたことで星野源が好きだと名乗れる根拠になった気がしたからだ。
その時には既に星野源が大好きだった。
エッセイや雑誌、CDをお金がない小学生でも中古のお店で買い漁りドラマも一生懸命追いかけた。
人生で初めてだった。
何でもすぐに飽きてしまう私が何かに夢中になるのも、その人が関わったというだけですべて愛おしく思えるのも。
ほどなくして「SAN」が売れ、朝の情報番組のオープニング曲への抜擢、逃げ恥の大ブームにより星野源は誰もが知るアーティスト・俳優になった。ライブに行ける経済力をもった頃にはドームツアーにチケット即完売、海外コラボ楽曲など飛躍し続け、次々と発表される映画やドラマの主題歌になぜかついていけなくなってしまった。
これは私が上手くいっていなかったからかもしれない。
頑張っているつもりだった。いや。私が頑張っていたのはいつだって仕事でも暮らしでもなく他者からの評価かな。
自分を自分で認めてあげられないコンプレックスの塊のような性格を、少しはマシと思える顔面に愛嬌をぐるぐる巻きにして得られる評価にしがみついていた。「仕事ができるね」でも「頼りになる」でもない。「かわいいね」「愛嬌あるね」「聞き上手だね」。そんな薄っぺらい、簡単に得られる評価にうつつを抜かし生ぬるーくいきていた。
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幼少期からずっと誰かが喜んでくれることのために生きていた。それが生きがいだった。この人は今私にどうしてほしいのか、何を言ってほしいのかを先読みして考え行動する。誰かに自分の未来をあげることなんて容易かった。
姉はよくできた子だった。出来のいい姉と比べられてきた姉妹の話などよくある。ピアノも鼓笛も部活も高校もすべて姉の後に続いた。全てそつなくこなし、すぐに居場所を見つける姉が羨ましかった。各所で信頼を得ている姉の場所に妹の顔をして混ざるのは簡単だったのだ。
けれど皆、姉と違うとわかるとすぐに私を見離していく。
最初は幼稚園の時。初めてのピアノの発表会で失敗した。譜面をとばして弾けなくなった。
ステージで固まり、親族に散々馬鹿にされた。笑い話にした方がいいと思ったのかもしれない。優しさだったのだと思う。けれど私はそこで【自虐】を覚えた。
自分で自分を嘲り、笑い、ほんと出来損ないだと言うことで本当の心を他人に無意識に傷つけられるのを恐れた。
あくまで自分から言ったからという理由が欲しかった。嫌いになりたくなかった。他人も自分も。しかし周りの私への期待が無くなっていくと同時に、私の、私への期待が強くなっていってしまった。
少しの失敗で過度にがっかりし、自分を責めてしまうようになり、自傷行為のように音楽を聴くようになった。「ばらばら」「営業」「地獄でなぜ悪い」など星野源が死にかけ、地獄を見、苦しんで吐き出したタイミングの歌詞ばかりに縋った。ここで死んでたまるか!なんて熱い歌手の曲は煩わしいだけだったが、星野源の曲は「私なんてこの世界でほんとにちっぽけな存在なんだなあ」とちょうどいい諦めと自分への期待の折り合いをくれた。
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なぜこれを書こうと思ったのかというと久ぶりに「逃げ恥」を見たからだ。
今私は前の職場で潰れ、休職期間を経て転職しそれも上手く行かなかった。
新しい職場でもまた同じことをしようとして自分に期待し、どうしようもない不安に駆られる日々を過ごしてキャパに合わない努力をしようとして焦っている時
急に(逃げ恥をみたいな)と思い観た所、これまでの自分を振り返りたい気持ちになった。
思い返すといつでも危ないときは星野源に助けられている気がする。死にたくなった夜、いつもstrangerを聴いている。
自分を見失うタイミングでドラマが見たくなったり音楽番組に出ているのを見たり。ラジオや執筆活動など多方面に活躍していて遠くなった気がしていたが、その分“星野源”に触れる世界が多くなっているという事だなと気づいた。
これからもずっと、生きている意味を考えわからなくなる日を星野源という存在に救われ続け、いつかのほほんとくだらない下ネタでも妄想しながら好きなことをして生きられる日がくればいいな。と思っている。