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常識とはなにか

しっかりしてるねと言われるようになったのは社会人になってからだ。
それまではどちらかというと頭が悪いと言われることの方が多かった。
単純に学校の勉強はできなかったし、一般常識というものを認識するのに時間がかかるタイプだった。
長年、鉄道というものが電車や新幹線等の総称だと知らず、電車と同じグループに存在している乗り物だと思っていた。
あとは言葉の覚え違いもたくさんしていて、顆粒はいつまでもけいりゅうと読んでしまうし、米米CLUBはベイベイクラブと読んでいた。
みんなどこで常識を学ぶのか、ずっと疑問だった。
そもそも常識ってどこからどこまでの範囲?

きっと、自分には何かが少し足りないのだと思っていた。
それが、社会に出てから変わった。
分からないことは無限にあるし、ルールやマナーも人ごとに違う。
それでも、知らないことは調べればいいし、暗黙のルールも人に聞けばいい。なんなら少し様子を見ていればなんとなく組み取れることもある。
学生まではみんな一律で、平均でいることを求められた気がするけど、社会人では短所を補うより長所を伸ばした方が仕事ができる気がする。
(自分の場合は集中力はないが同時進行でタスクをこなせる)
平均だとつまらないなんて言われがちだけど、明確な短所がないのってとてもすごいことだと思う。
ずっと、なんでもできる人に憧れていたけど、ぜんぶ完璧じゃなくて、広く浅くすべてに関わる事はできると知った。
だから、おとなになって良かったなと思う。できることは変わっていないけど、評価軸が変わるだけでこんなにも違う。

あなたは常識がないね、と言ったあの人の言葉が、ずっと心に刺さっている。
その人はその時の私にとって大切な人だったから、その人からの評価はそのまま私自身の価値だった。
今はもうその人は傍にいないのだけど、離れてみて、たった一人の評価が私のすべてを決めてしまうなんて、そんなことはないのだと気づいた。
その人の常識と私の常識は違うというだけのことだった。
そもそも常識なんてあってないようなものなのだ。
ある/ないの二元論ではなく、グラデーションと偏りがあるもの。

今でも常識という言葉を聞くとぎくりとしてしまう。
なぜか後ろめたいような気持になる。
ないと言われたときの、ひんやりした気持ちを思い出すからかもしれない。

ついこの間、職場で華麗な言い間違いを披露していた後輩が、周りの人にそのことを指摘され苦笑される場面があった。
(私は会話に参加していないけれど聞こえてしまった)
勝手にひやひやしていると、その後輩は「自分の知らなさに驚いてます!」とにこやかに言った。
ただそれだけのことなのに、なんだか私も救われた気になって泣きそうになってしまった。
知識とは本来豊かなものだ。知ってるから偉いとか、知らないからダメとか、そういうものではないと思う。
後輩は知らないことを恥じるのではなく、みんな知っていて凄いという驚きで返した。それを聞いて他の人もにこにこしていた。
些細な会話だけど、この気持ちは覚えていたいなと思ったので記録しておく。

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