フランス人の日本大冒険
松ヶ崎の外国人ビレッジは1人、2人と外国人が住み始め、最近は30~40人くらいが住んでいるという。出入りが頻繁で住人の数も詳しくわからない。仲よしのフランス人、クリスと一緒に住んでいる彼はK大医学部ドクターの秀才で、2人はこの外国人ビレッジの住人だ。クリスとわたしは、音楽や映画、アートの好みもぴったり。特に日本の民芸品や古い着物を取り入れたフランス風アレンジのきいたお洒落なファッションが好きだった。
ある日、小さな広告代理店の社長がラジオ番組の企画を持ち込んできた。企画内容はクイズ形式で京阪神のショッピングセンターやスーパーマーケットを回り、景品としてスポンサーの食品メーカーの商品をプレゼントする展開で、番組で商品をアピールして売り上げを伸ばすことが狙いだ。司会は歌手のHiroと、かわい子ちゃんMC、そしてユニークな存在感の外国人タレントの3人構成を考えている。歌手とMCはめどがついているが、外国人タレントに手が届かない。それでわたしに外国人タレント探しの仕事が回ってきた。ぴったりの外国人タレントは当てがなかったが、こういう時こそ、外国人ビレッジの出番とばかり、すぐにクリスに連絡した。するとクリスは誰かをあたるより、面白そうだから自分でやりたいとエントリーしてきた。
ラジオ公開録音に進出、クリスのおちゃめ心が大ヒット
翌日、クリスとラジオ局を訪ねた。クリスはフランス人といってもエキゾチックな美人で日本人好みともいえる。たどたどしい日本語はかえって、キッチュでいいとプロデューサーやディレクター、何よりもスポンサーの一声で決まった。ただし、毎回、京阪神のショッピングセンターやスーパーマーケットで公開録音となるので、わたしに通訳兼翻訳、マネージャーという肩書でやってほしいといわれ、すぐ契約した。こうして、毎週、間違いなくクリスを現場に連れていくのがわたしの仕事になった。
歌手Hiroのマネージャーの車に便乗することになり、時間どおりに現地に連れていく任務は、マネージャーが責任持ってくれる。ラッキーな展開になったが、それがHiroの狙いだった。スポンサーやプロデューサーまでがお気に入りのクリスと、出演までに友達感覚になることが目的だ。移動中、サンドウィッチやスナックで歓迎した。お菓子を食べながら、わたしはクリスに台本を英語で説明した。そして時間どおりに現地入りした。今日は兵庫県加古川市にあるショッピングセンターの地下食料品売り場が現場。すでに特設ステージができている。「おはようございます」の業界言葉のディレクター。「今日のゲストは演歌の大御所、S子ちゃんや。新発売のCDの番宣やから、よろしくな」…とこういう調子だ。クリスは何でもが珍しく、ゲストの大物演歌歌手にも大事にされて、新発売のCDもプレゼントしてもらっていた。軽くリハーサルして、11時きっかりにスタート。その頃、お客さんたちが大勢ステージまえに座っていた。
クリスのチャーミングな日本語ヒントが大うけ
クイズ番組でだれもが正解できるようHiroやMC、茶目っ気たっぷりにクリスもヒントを出す。そしてエントリーしている主婦はめざす商品をゲットする。3問が終わったところで、ゲストの登場だ。有名歌手の登場でお客さんに大うけだ。
そのあと、残り2問のクイズにも大物歌手も参加し、スポンサーにも喜んでもらえて、第一回目の公開録音は大成功となった。気を良くしたスポンサーは、最初は大物歌手、HiroとMC、クリスとわたしにも新製品を配り、次の公開録音をよろしくと言って帰っていった。
こうして回を重ねるごとにクリスは人気者になり、次第に様々な出演依頼が来るようになった。そこでわたしたちは友達であると同時にビジネスパートナーとして契約した。こうして週に3回の約束で、番組やイベント、広告に大活躍となった。ラジオ番組はクリスの存在感がいっそう番組を盛り上げるようになった。そこでスポンサーは、クリスを新商品キャンペーンのポスターに起用した。その効果がすぐに現われ、今やクリスはこの番組のスターである。それでも仕事は週に3回のきまりを守っていた。このルーチンで1年が過ぎた頃、クリスは順調に外国人タレントとして活躍の場を増やし、わたしとクリスのインカムは安定してきた。そんな時、クリスの彼、ピエールが博士号を取得した。それと同時に彼の所属するフランスの大学病院からそろそろ帰国するようにと督促された。けれどラジオの契約はまだ半年残っていた。そのほかは単発の仕事なので調整できる。そこでクリスは半年だけ帰国を遅らせ、ひとまずピエールが帰国することになった。
旧交をあたためたフランスの休暇、ある決意を固めた
ほどなくしてクリスの最後のラジオ公開録音があり、収録後にスポンサーがパーティを用意していた。関係者が一堂に集まる中、スポンサーの担当者は「クリスのおかげでフランスの会社が商品を買ってくれるようになり、フランス進出を真剣に検討している。実現したらフランスでもクリスを起用したい」と報告した。クリスはタレント業は日本にいる間のことだと割り切ってやっていたので、帰国後のことはまだ不明だと如才なく回答した。こうして、クリスはピエールの待つフランスに帰っていった。それから1年後、クリスから赤ちゃん誕生のカードが届いた。クリスの目とピエールの口の赤ちゃんに、クリス&ピエールの家族写真のカードである。そのことをラジオの関係者に伝えると、例のスポンサーが「赤ちゃんがいるのは、ますます都合がいい。食文化はファミリーのモノだからね。ぜひ日本に招待して、母子を起用したポスター展開したい」と言われ、「待ってください。赤ちゃんが生まれたばかりですからっ」と言ってその場を辞した。
次の週、わたしはフランスで音楽祭の取材の仕事があった。さっさと仕事をすませ、クリスに会いに行った。もちろん、スポンサーのことはクリスに言うつもりはなかった。クリスの赤ちゃんは美男美女の両親に似て、天使のようだった。出産はピエールの病院だったので、安産やったとクリスが京ことばにウィンクで語った。ピエールは帰国後、めきめきと実力を発揮し、部長に出世していた。絵に描いたような幸せそうなクリスたちと何十枚も写真を撮った。クリスの手料理にワイン、クリスのママとパパを加えてわたしたちの再会パーティ、そしてショッピング。楽しい時間があっという間に過ぎて、帰路のフライトについた。わたしはこの3泊4日のクリスとの久しぶりのひとときをフィードバックしながら、このことはラジオ関係者に絶対に言うまいと、心に誓った。