頑張る自分を労うことを、忘れずに エッセイ#18
先日、私と同じくアメリカで生活する日本人の女性とお話しする機会があった。
彼女は、40代。20代前半にアメリカ人の旦那さんと国際結婚し、アメリカに移住したそう。
アメリカに移住した当時を振り返り、彼女はこう言った。
「実際に住んでみると文化も習慣も違うし、
現地でネイティブの英語を聞き取るのも、苦労した。」
「主人の英語はいつも一緒にいるからわかるんだけど、
主人以外のネイティブがいうことは、全然聞きとれなくて、大変だった。」
首がもげそうなほど共感する私。
「私のそれなりの英語力」は、現地では全く通用せず、心が打ちひしがれる経験を何度もした。
そして、
このあと彼女が放った言葉に、ハッとさせられたのだった。
「20代は、アメリカでの生活に慣れることだけに費やした感じよ。」
私は心の中で、「だ・よ・ね!!!!!」と叫んでいた。
だって、移住って、異国で暮らすって、その環境に慣れるって、それくらい時間がかかって然るべき。
大変なことだ。
(英語力や留学の有無など、個人差はあると思います。)
彼女の言葉に共感したと同時に、
自分自身に対して、「ごめんね。」という思いが込み上げた。
自分に課していたハードルがあまりにも高すぎたことに、気づいたからだ。
私は、2,3ヶ月もあれば、アメリカの環境に慣れて当然だと思っていた。だから、移住して数ヶ月経っても、英語で電話をすることを怖がっている自分を責めていた。
移住したのだから、全部一人でやって当たり前。そう自分に言い聞かせ、買い物・美容院・電車・病院・電話など、できる限り自分一人でこなすようにしていた。
初めての環境で、今までと違うしきたりの中、
第二言語でのコミュニケーション。
今思えば、かなり勇気がいったし、緊張もした。
結構な労力が必要だった。
頑張っていたのだ。
けれど、そんな自分の努力には見向きもせず、
スムーズにこなせないことがあると、
「何でこんな日常的なこともできないの?」と、自分にプレッシャーをかけていた。
だから、彼女の
「20代は、アメリカでの生活に慣れることだけに費やした感じよ。」
という言葉を聞いて、
「だよね、それくらい大変だよね!涙」
と、鬼ほど共感して、安心したと同時に、
自分に課していたあまりにも高いハードルや期待に、気付かされたというわけだ。
もしかしたら、この記事を読んでくれているあなたにもあるかもしれない。
ついつい、ものすごい高いハードルや期待を自分に課していること。
私の周りを見渡しても、成長意欲が高い友人や、頑張り屋さんはついやりがちだと思う。
私は、高いハードルを自分に課すこと自体は、悪いことではないと思っている。
どこかで自分の力を信じていることの裏返しでもあるし、成長意欲があってこそだから。
けれど、
その課せられたハードルに向かって必死に頑張る自分に、スポットライトを当ててあげることは、忘れないようにしたい。
自分の頑張りに気づいて、「頑張ってるよね」と、自分をちゃんと労ってあげようと思った。
そして、時には、
「ただ毎日を生きているだけで、十分だよ。」
と、自分を緩めて、安心させてあげることも大切だよね。
そんな風に感じた出来事でした。