世界幸福度ランキングNo.1の国 フィジー
これを旅というのか、少し疑問だけど…
今から5年前。ちょうどコロナが流行り始める前の2019年
私は思い立って2週間休暇をもらい、短期留学に行くことにした。
今思えば、すごく良いタイミングだったと思う。
これを逃していたら、コロナが落ち着くまで、もう何年も海外旅行へはいけれないのだから。
留学先は
①時差が少ないところ
②海が綺麗なところ
③ドミトリーがあるところ
と、概ねこんな感じで探していた。
そう、短期留学と言いながら、しっかりバカンスを楽しみたい!という思惑もあった。
当時の検索ヒットはほとんどがセブ島で、私の心も8割がセブ島で決まっていた。
しかし、何気なく見ていたInstagramのストーリーで広告が出てきたのだ。
「短期留学 フィジーがオススメ」
フィジー??それは一体どこの国?
「フィジー」について調べる。
フィジー、皆さんはどこにあるか分かりますか?
オーストラリアの東に位置する、とても小さな島国。
そのため、海がめちゃめちゃ綺麗!
そして、留学費用が他の国に比べるととても安い!
時差も少ない!
そんな理由であっさりと行き先をフィジーに変更したのはいうまでもない。
フィジーへは成田空港から直行便が出ていて、当時は金曜の夜に出発して、土曜日の朝に到着するスケジュール。
現地集合現地解散のため、とりあえず一人で入国手続きをしなければいけない。
というプレッシャーの中、現地へ向かう。
現地では日本人のスタッフが出迎えてくれて、ビザの申請や買い出しなど諸々のことを一緒にしてくれ、ドミトリーで解散。
私は同世代の女性と少し年上の女性と意気投合し、滞在中は一緒に過ごすことに。
短期留学というと、若い人ばかりを想像するかもしれないが、実はそうでもなく、驚いたことに70代の女性も参加していた。しかも1年も!
そのポテンシャル、尊敬する!
人生に遅いはない。
海外に行くと(と言っても、人生で3回目の海外旅行)つくづく日本は平和な国だし、女性が一人で歩いていても問題のない、安全な国だと実感する。
フィジーに到着し、一番最初に何度も念押しされたのが、「フィジーアタック」と「フォジー精神」に気をつけること。
このフィジーアタックとは、フォジーでは夜道を歩いていると、アタックされて強盗に遭うことがあるというのだ。
そんな怖いことがあるのか!と恐怖でしかなかったことを思い出す。
フィジー精神というのは、「あなたのものは私のもの」
なんかどこかで聞いたことあるような言葉だが、決して「盗んでやろう!」という悪い気持ちでのことではない。
リビングに置いてあるものは、あなたのものだけど、みんなのもの。
財布が置いてあったらお金使うし、服も借りちゃうよ。というように使われたくなかったら自室で鍵かけておいてね。という精神らしい。
日本だと犯罪って思われるようなことも、フィジーでは「みんなで分け合う」という考え方らしい。
ものすごく、カルチャーショックだ。日本にはない考え方だけど、フィジーでは当たり前。
そのこともあってか、フィジーの人はみんな親切。
フィジーに到着して2日目にして、びっくりすることがあった。
到着したのは土曜日。
一緒に到着した女性と日曜日に、ビーチに行こう!とバスで2時間くらいのところにあるビーチへ行くことにした。
今思えば、到着2日目で、英語もほとんど通じない私たちが、バスに乗ってビーチに行くなど、ものすごいことをしているのだ。
バスターミナルがどこにあるのかなどは、“しおり”に書いてあったので調べ済み。
実際に行ってみると…
なんと、バスに乗るのにはバスカードが必要で。
基本的にこれにお金をチャージしてバスに乗る。
え、そこは近代的なのね。
日本でもまだ現金OKなのに。
現金は一切使えなかった。
しかも、そのバスカード、日曜日は販売所が定休日で買えない!
えー!どうしよう!ここまで来たのに。
しかも、一緒の女性は1週間の滞在で、実質この休みが最後の自由時間。
だからこそ、今日は楽しみたかった。
が、この現実。
と思っていたら、バスターミナルで商売をしている女性が声をかけてくれたのだ。
つたない英語で状況を説明すると、なんと、自分がもっているバスカードを貸してくれた!!!!!!!
そんなことあるーーーー??
これこそ、「フィジー精神」なのだ。
最後に「今日戻ってくる?」と聞かれ、帰ってくるよと伝えると
〇〇時まではここにいるからね。と言われ、見送られた。
日本も親切な国だと思うけど、フィジーは斜め上から親切だった。
衝撃的だが、これぞフィジー精神
後にも先にも、これ以上に親切に出会ったことがない。
そんなこんなで、私たちは無事バスに揺られ、有名なビーチへと向かった。
ここからも奇跡体験をすることとなる。
フィジーに来て2日目。
何もわかっていない日本人女性2人。
降りたバス停から、ビーチに向かって歩く。
タクシー運転手に声をかけられる。
フィジーでのタクシー移動は正規とぼったくりがいるから気をつけろ。
最初にどこまで行きたいか、いくらかかるか。
というのを明確にしてから乗らないと、ぼったくられるらしい。
だから、フィジーでは基本的に移動手段は歩きかバスになる。
このときは結局タクシーに乗った気がする。
と、ちょっとうる覚えだけど。しっかり、色々ガードした記憶はある。
ビーチまで行き、楽しんでいたけど、トイレも行きたいし、ドリンクも飲みたい。
と、あたりを見渡すとなんかホテルのような、商業施設のようなよくわからない建物を見つけた。
ビーチから行ける道があったので、そこを歩きながら建物の方へ向かう。
やっぱり、ホテルだ。
しかも、めちゃめちゃ高級っぽい!
ひとしきり楽しんだ後に、日本人の男性に出会った。
私たちが日本語だったから話しかけてくれみたい。
自分たちの状況を話すと、なんとその人はフィジーに2校しかない日本人が経営する語学学校のもう1校の方の校長先生らしい。
若い頃、フィジーに留学に来て、フォジーが好きになって、移住して学校を開いたそうだ。
そう、フィジーって割と日本人が多く、皆、若い頃フィジーに来て、好きになり、戻ってくるのだ。
そして最後に、「どうやってここに入ったの?」
え?ビーチから歩いて…ですが…??
「いやいや、ここ、会員制でお金払わないと入れないよ。よく誰にも気づかれずにここまで来れたね。」
そう!一歩間違えれば不法侵入!!!
2人で目を合わせて、「早く出よう!」となり、ちゃっかりホテルの送迎バスにのり、近くのバス停まで戻ったのだ。
いつもなら、絶対に入れないらしい、高級ホテルにちゃっかり滞在できてしまったのだ。と言っても、トイレを借りて売店で買い物して、眺めの良いテラスを楽しんだだけ。
後から知ったけど、本当にとてつもなく、高級なスパリゾートでした。
その後の記憶が曖昧だが、おそらく朝のバスターミナルへ戻り、近くのマーケットを楽しんだはず。
フィジーは何もないように思えて、街中に行けば大きなショッピングモールもあるし、お店がたくさん集まった商店街のようなところもある。
思っているより、都会なのだ。
そして、バスカードがないから、寮まで歩いて帰った。
今、ふと、行きはどうやってバスに乗ったんだろう。
と記憶を巻き戻す。
だが、全然思い出せない。
でも、確実にバスに乗っているのは間違いない。
もしかしたら、朝バス停で出会った日本人(同じ学校の人)に助けてもらったのかも?
滞在中はいくつかのビーチに行ったり、ビーチの近くに併設してるショッピングモールに行ったりと、なんやかんや楽しんでいた。
そうだ、今思い出した。
ビーチの近くのモールで買い物しよう!となり、わざわざ行ったとき。
何を思ったのか、財布を小さいのにしようと思い、入れ替えた。
そのときだ、クレジットカードを入れるのを忘れてしまった。
お土産を買うつもりでいたし、現金もそんなに換金せず、カードで済まそうとしていたから、びっくりすぎて、その後テンションがダダ下がった。
お金、どうしたんだろう。借りたのかな。
メインイベントの学校生活よりも、ビーチやモールで遊んだ記憶が鮮明に蘇る。
当時、仕事が忙しい中、G.Wを返上して仕事をし、連休が終わるやいなや、フィジーへ出発した。
会社員が2週間も仕事を休んで海外に行くなんて、無謀なことをやり遂げている。
普通の休日するらちゃんとなかった当時(今でいうブラック企業)。
あの2週間は無理にでも行って本当に良かったと思う。
海外に行くたびに、日本の良さも感じるし、海外の良さも味わえる。
今思うと、通じたんか分からん英語で、バスに乗り、ビーチに行き、モールで買い物をしている。勢いって恐ろしい。
フィジーは治安は良いのかもしれない。昼間は。
そう、私は夜はほとんどで歩かなかった。
行っても、学校の目の前にある飲食店に行ったくらい。
それですら、ちょっと怖かったのだ。
そういえば、ドミトリーのすぐ脇が滑走路だった。
朝は飛行機の音で眼が覚める。嫌いじゃない。
その滑走路を向こうはビーチになっていて、ホテルやスパなどひしめき合っている。
夕日が綺麗でずっと見てられた。
懐かしいな。
これを書きながら、当時の写真を見返した。
なんともいえない感情が胸を締め付ける。
また行きたいな。
そして、あのとき行ったビーチやモールはどこだったんだろうと思い、Google mapで確かめてみる。
そうそう!ここ、ここ!と、どんどん当時の記憶が蘇る。
同時はビーチしか頭になかったが、今はヒンズー教の寺院も行ってみたい。
今とは違う楽しみ方ができるかも。そう思えた。
あのとき、もっと違う楽しみ方があったんじゃないかと思ってしまう。
けど、日本ではみられないマーケットも店並もたくさんあった。
そういえば、当時すでにフィジーではスーパーのレジ袋が有料だった。
というか、レジ袋はなかった気がする。
どの人も自分でカバンを持ってきていたのだ。
そこには、島国だからこその環境意識があった。
海面上昇や、プラごみの海への影響など、皆ちゃんと「自分ごと」として向き合い、考え、実行している。
そういうところは、日本よりよっぽど先進国だった。
フィジーは日本ほど豊かではない。
けど、みんなどこか楽しそう。
街を歩けば「BULA」と挨拶をしてくれる。
英語が通じなくたって、イライラしていない。待ってくれている。
飲食店で食事をしようとお店に入ったら、料理が来ると同時に写真撮ってあげる!と言って撮影してくれた。
困ったら、バスカードも貸してくれる。あのあと、ちゃんと再会できて、バスカードは返せた!
ゆっ
くりと時間が流れる。
フィジー時間。
少し不便な地域かもしれないけど、だからこそ、とても豊かな国フィジー。
「足るを知る」にはもってこいの国かもしれない。
最後に、フィジーの景色をお裾分け。
機会があればぜひ、行ってほしい。
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