自分に許されたい、許されてはいけない

最近、人のために行動を起こしていて
それを褒められたりしてたんだけど、
人に優しくするたびに
「私が存在することを許されている気分」
になっていた。
でも、私は一体誰に許されたいのかわからなかった。

憎き父親か。神か?

そんなことをぼんやり何日か考えていて、
気づいたことは、
私が許されたい相手はたぶん「私」だ。

私は私の生を許していない。
肯定してはいけないと思っている。
なんでかはわからない。
罪、は確かに少しあるかも知れない。

私にとっては生きることはすごく苦しいこと。
死ぬことは楽になることだと思っている。

だからずっと生きていくこと自体が
なにか罪滅ぼしのような気がしている。

なんの罪かはわからないけど。

小さい頃から刷り込まれた
「お前はいらない」
「育て方を間違えた」
なんて父親からの否定の言葉が呪縛なのか。

太っている自分が許せないから
痩せていることに執着する。
なにもしていない自分が許せないから
無理してでも動くし、仕事もする。

でもきっと、自分で自分を許せたら
とてつもなく楽になれることを知っている。

じゃあ許せばいいじゃん。
楽になればいいじゃん。

そう思うのに、心にブレーキがかかる。

楽になんて生きれると思うな。
私は楽しちゃダメなんだ。

私はなんで私が許せないんだろう。

希死念慮はだいぶ顔を隠すようになった。
でも生きていたいと声を大にしては言えない。

産まれたことを、まだどこかで後悔している。
日々は穏やかだし十分満たされているはずなのに。

どこまでいけば、なにをすれば、
私は私を許せるんだろう。

俯瞰で自分を見ることが出来るようになっただけ
一歩前進ということにしようか。

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