【階段落ちと渇愛】
新撰組のハナシではありません。
池田屋でも蒲田行進曲のハナシでもなく、
2月中旬に、階段を4〜5段ほど踏み外して、階段落ちしました。
自慢しますが、
ケガも病気もしたことが無く、
病院との縁はこの数十年両親の付き添い以外ほぼ皆無でしたが、
この度、脳神経外科やら整形外科やらで、MRIを撮ったり、レントゲン、CTなどを撮ってもらいました。
たかだか4〜5段の階段落ちでしたが、足首捻挫はすぐに回復したものの、グルングルンのめまいや、吐き気、胸部激痛がなかなか治らず、
鹿児島移動もあったため、
飛行機の中で頓死しては皆さまにご迷惑をおかけするため、とりあえず
徹底的に調べてもらいました。
結果、
骨から軟骨に至るまで全く損傷は無く、脳も全く異常は無し。
めまいは恐らく落ちた衝撃で耳石が動いためか?
胸部激痛は、落ちた瞬間の衝撃で
オッパイ筋を痛めたためか?
みたいな結果で、湿布を貼ってはい終わり💦
丈夫な身体に産んでくれた両親にまさに感謝ですが、
ふだんから
「私は130歳まで生きるからね、ガハハ」などと嘯いているのに、ちょっと階段落ちした位でびびってこの体たらく。
思えば闘病の末に癌で亡くなった同級生や、師匠や、たくさんの亡くなった身近な人たちにわかったように接してきたけれど、実は私は何もわかっていなかった、傲慢だったと、この度深く反省したのでした。
父の納骨は終わり、今は母と同じお墓に眠っている。
そろそろ
「見なかったことにしてきた父との関係」
にしっかり向かい合う時が来たなと思う。
いつか、京都で街中を歩いていた時に、お寺の掲示板で見た、
「求めすぎる事があなたを苦しめる」
という一文が、心に刺さり今でも残っている。
後に調べて、仏教用語で「渇愛」
という言葉があることを知った。
それは、いつも私が
恋愛対象の相手や、夫や、そして父に向けた「執着」や「渇き」に苦しんだ状態そのものだったような気がする。
仏教的にいうと、「渇愛」は、十二縁起の一つで、
現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの、とのこと。(Wikipediaより)
「齢はゆずれ京の魑魅魍魎」
ではなく、
剃髪して、
「第二の瀬戸内寂聴」
になるべきか迷っている。