見出し画像

酒とビンボーの日々 ②ビンボーは囁く

どうして、僕が貧乏に堕ちていったか。
50歳を目前に貧乏とはいかなる訳か。

それを書くには景気付けの一杯の焼酎が必要だ。

景気付けと気休めの一杯。
合計二杯。

僕は、40代後半のサラリーマン。
専業主婦の妻と子どもの3人家族。
妻の実家がすぐそばにあり、僕らは賃貸マンションで生活をしている。
住んでいる場所は都内某所。
妻の実家がそばにあること、子どもが育つ環境の良さ、が一番の理由。

その某所で家のローン並みの家賃を払って、
3人家族で賃貸マンションに暮らしている。

その賃貸の大家は大金持ちで四季が巡るたびに庭師を入れて、
イベントとも言えるような庭木の手入れを行う。
年末の最後にはその庭師たちがやってきて三三七拍子をたたいて終わる。
そんな昔ながらの大金持ちである。
(言っていることわかるかな…笑)

僕はカーテンの隙間からその様子を覗いて、ため息ともつかない、
重苦しい息を吐いて年の終わりを感じるのである。
そして、いつもこう思うのだ。

「僕は、なんで金持ちの家に生まれなかったんだろう?」

なにかにつけて僕の人生に登場する問いである。

僕は普通のサラリーマンの家の子どもだった。父は大きい会社に勤めていたので社宅住まいで、専業主婦の母と3つ違いの弟がいた。

それなりに楽しく幼年・少年時代を過ごしたと思っている。
虐待もなかったし、ネグレクトもなく、いじめもなく、ごく普通の生活をしていた。
地元の中学が荒れていた時代だったから、中学受験をさせてもらった。
親もそのあたりはすごく積極的でいてくれたので、
志望校ではなかったけど、都内の私立へ電車通学をするようになった。

行くことになった中学は中高一貫校で当時は試験で入ってきた人とスポーツ特待生で入ってきた人が混在していて何がしたいのかよくわからない学校だった。
その後20年して、本格的な進学校になってしまい、僕らは体の良い実験台にされたのだとクラス会で憤っていたものだ。

そんな「クソ私立」だった。

当時は私立中学だったらカネに糸目をつけないような連中だったら入りたがったに相違ない。
まわりの生徒の親は事業をやっていたり、開業医だったり、寺の住職だったり、ヤクザだったりで小金を持った家がほとんどだった。
僕以外のクラスメイトは何をするにしても中学生のくせに1万円札を何枚も入れた財布を持ち歩いていた。

僕は財布などという観念はそのころ全くなく、
ジュースも自販で買ったことのない子供だった。

買い食いするならば親からもらった50円玉を握りしめて駄菓子屋に走ったような、そんな育ち方をしていた。ジュースよりも学校にある冷水器でゴクゴクと水を飲んでいた、そんな世間知らずの子供だった。

中学一年生のころは小遣いなんてもらっていなかった。
ほしいものがあれば親に相談すると買ってもらえた。
それは僕の場合、赤川次郎やアガサクリスティーの文庫本だったりしたから、それほどの出費ではなかっただろうと推測する。

しかし、中学生ともなれば、その世界は急激に拡がりをみせる。
思い至ったこともない他人の家の事情などが頭の中をよぎることも多い。
それに多感な時期だ。

他人が持っていて自分が持っていないものには妙に敏感になる。

そのうちヤクザの息子と仲良くなったのだが、
そいつの家に遊びにいくと彼の部屋に大きいステレオが揃っていて、
レコード・カセットテープ・CDが聞けた。

その当時リバイバルブームで再評価されつつあり、
神のように崇めていたビートルズの楽曲をとてつもないいい音で聞くことができたのだ。
僕はそれまでラジオで特集された彼らの音をエアチェックをしてカセットテープに録音していたのだが、そんなラジカセで聞く音とはまったくといって違う音の厚みに驚愕した。

特に”Paperback Writer”のイントロの音圧にビビったのだ。
ステレオのコーン紙を揺らす、ベースとギターの低音部のユニゾンが気持ち良かったのである。これってほぼハードロックじゃないか!
それこそ僕にとっての音楽というものの源泉だったのだと改めて思う。

僕もこれを家で聞きたい!

そこは当然、親にステレオをねだった。いや、最初は当時出始めのCDを真っ向から否定することから始めたっけな。中学生のやり方なんてそんな姑息な手段しか思いつかないものだ。
当時、CDに対抗してカセットだっていい音で聞けるんだぞ!とばかりに音質を重視したカセットシリーズも発売され始めた。
CBSがビートルズのアルバムをリバイバル発売したのである。
それに飛びついた。たしかにいい音だった。だが、ステレオのコーン紙を震わせるあの感動とは程遠いものだった。

それはそうだ。僕の聞いているデバイスはラジカセなんだから。
こんな小さな穴から聞こえてくる音楽じゃなくてもっと爆音のなかで音楽に浸りたい! というか、

なぜ、うちにはステレオがないのだ? 
なぜ、うちにはヤクザの息子の家みたいに自分の部屋さえないのだ?
なぜ、うちには……がないのだ? 

他人の家と比べて自分が持っていないものを挙げるときりがなかった。
僕は自分が惨めになった気分でいっぱいになった。

社会人になってからその惨めな気持ちの裏返しで妙な反骨心を抱いた。
「ルサンチマン」などと自分に都合の良い言葉を手に入れて、怒りの原動力となった。
それが営業という職業で成り上がっていくには必要だったのだと思う。それはずっと後の話である。

そんなこんなで僕は今は亡きケンウッドのステレオを親に買ってもらうことができた。
そこで初めて買ったCDがビートルズの”A Hard Days Night”である。
あのイントロのSUS4のコードの響きがスピーカーのコーン紙を揺さぶった。これは僕の魂を揺さぶったことと同義である(笑)

これは僕の人生のターニングポイントとなった出来事だった!

後で知ったのだが、
父は僕にステレオを買うお金を色々な我慢を強いて捻出したらしい。
両親が最も心を砕いていたことは、僕たち兄弟の教育だったのである。

当時、夜学出で苦労した父親は子どもにはそんな苦労をさせまいと思って色々と積み立てをしていたようだ。だが、親の心子知らずで、あいつが持っているステレオを僕も持ちたい!という僕のどうしようもない衝動だけで父はそれ相応の出費を強いられてしまったのである。
ステレオセットは20万近くしたはずだ。
買いに行くときに封筒を現金から出すさまをなぜか覚えている。

僕はその金の工面の仕方を家の貧困のせいだと断じてしまったのである。

若い、というか幼いということの恐ろしさを改めて知った。
無知は本当に恐ろしい。
僕はしばらく(自分が勘違いした)父の不甲斐なさを呪いながら生きていくことになる。

「本当の貧しさ」は耳元でささやく。そうして心を蝕んでいく。

僕はクリスチャンではないし、ゾロアスター教徒でもない。
ただ、貧しさは悪魔のようにそれを他人へ、むしろ愛すべき肉親に向けて責任を転嫁するのだ。誰のせいでもないのに。
今でこそ笑い話ではあるが、僕はこのことを人生の汚点のひとつと感じている。
父には当時の自分の傲慢と無知をすまなかったと一言詫びることができた。

僕はそういう考え違いをしばらくし続けることになったのだった。

いつだって「貧乏」は僕らの耳元で囁く。
呪いのような罵詈雑言を。
それをあたかも愛する者のせいにするかのように。

それは自分の弱さなのだ。僕は本当の貧しさに負けてしまったのである。
ただ、今もカネはないことは変わらないのだが。


酒とビンボーの日々 ①ビンボーは踊る|コッキンポンコ|note

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?