闘病介護は辛い...
緩和ケア病院に入院をして、2週間が過ぎました。
当初、主治医は母を見て
「かなり厳しい状況だな...」と思っていたようです。
しかし、母の主治医は、死のカウントを絶対にご家族に伝えないというポリシーを持っていました。
何故なら
「それが人の命ということであり、尊重であるから」とお話をしてくれました。
入院当初から、母の腹部には沢山の腹水が溜まっていました。
体のむくみがマックス状態で、肺にもタンが溜まっており、呼吸も苦しそうだったので、一切の水分補給を禁止されました。
そのおかげなのか、体の水分が抜けて腹部の苦しい症状が緩和されました。
しかし、のどが渇く母は、終始水分要求をするようになりました。
その要求は異常でした。
10分に1回ならまだマシなほうでした。
ひどいときは、2~3時間ずっと「水!!!!」と騒ぎます。
そりゃそうだよね....
あげたいけどあげれない...
本当に苦痛でした。
なるべく気がまぎれるように、体のマッサージをしたり、話かけたり
小さいスポンジで水を含ませた専用の、口内スポンジで、ほんの少しだけ水を含ませて口の中を潤しました。
しかし、本人は水が欲しいのでそのスポンジを噛んでしまうのです。
そして、その少しだけの水分で咽たり、ときにはせき込んで吐きそうになって、大変なことになってしまうのです。
せん妄の次に、この水分補給の問題が出てきました。
のどが渇いているのに、水が飲めない...
辛いよね....
それは、つらいよね....
母は
「ちょっとだけ水が欲しいの...ほんの少しだけでいいの」と懇願するのです。
あげたい
飲ませてあげたい
だけど、飲ませてしまうと、母の体が拒絶反応をして咽て吐き気で、辛い症状を出させてしまうし、下手したらそのまま亡くなってしまう可能性さえありました。
先生に、何とか対処方法はないのか相談すると、口腔スポンジでこまめに口を潤すことをしてあげてくださいと...
せん妄の時のように、本当に地獄のような時間でした。
弱っていく母は、もはや力がないのに、それでも鉄のベットにナースコールをぶつけて「カンカンカン!!!!!!」と水を要求しました。
日中は看護師さんにお願いをして、家に食事を作って家事をして仕事を片付けて、夕方から朝まで私は母の水分補給の対応をしました。
体力がないのに、全力を振り絞って母は、水分補給を要求していました。
いったいいつまで続くのか...
正直私も、精神的に、体力的に限界がきていました。
辛く弱っている母を見ることが、最大に辛い。
助けてあげたいのに、ただ亡くなるその日を見守ることしかできない。
こんな苦痛な時間はありません。
そのギャップが、日に日に私の精神と体力を奪っていきます。
でも、弱音を吐いている時間は一ミリもなかったのです。
自宅では、主人がとても心配をしていました。
たまには休めばいいよ!って。でも、それがどうしてもできなったのです。
私が行かなかった日に、母がもし亡くなってしまったら...とか
一人だと寂しいだろうな...とか。
変な義務感が働いていました。
行かないことが、母を裏切った...という、そんな感じに苛まれていたのかもしれません。