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生麩的哲学考察with飲茶 読書日記 2024.11.18
kindleに入れていて読みかけのまま忘れていた本を、大掃除するように読み片付けることにした。ライブラリをスワイプスワイプスワイプ…していくと、赤茶と黄土色の青空文庫、娘が勝手にポチッた「夢をかなえるゾウ」三冊セット、まとめ買いした漫画、などがずらずらと並んでいる。この画像の並びを見るだけで、この時期これハマったなあ、と懐かしい。妊娠出産に震え上がっていた時期に読み漁った子育てコミックエッセイ、意識を高くしようと思っていた時期の自己啓発書。資本論と古事記の要約漫画が並んでいるのは当時の私が教養を手っ取り早く身につけようとしていた痕跡のようだ。
本棚や床に積み上がらないステルス積読である電子書籍は、自分の目にも未読の山が見えないし、家族にもバレないので、いつのまにか繁殖している。「積読が、、、」と困っているふりして実は全然反省してない笑顔でテへへへと打ち明けあう本好き同士の定型挨拶があるが、あれは実際に物理的に「積んで」いるものだけをカウントしているのだろうか?先生ー!電子書籍は積読に含まれますかー?
人様の定義は存じ上げないが、私個人としては立派な積読だろうと認めており、どうにかスッキリしたいと望んでいた。
というわけで、「史上最強の哲学入門」(飲茶)を読了。買ったの2020年8月だったらしいです。4年以上、浸けに浸け込んだ超熟成発酵電子書籍だ。体にいいに違いねぇ。
まず、著者の中国的アフタヌーンティーなおいしいペンネームはどうしたものなの?と気になる。Wikipediaで探るもなんの言及もなくてますます気になる。ブログも書いてらっしゃるようなので覗いてみたら「飲茶な日々」というブログ名で哲学について語っておられた。由来は不明。某国民的漫画&アニメの死亡シーンで有名なあのキャラクターとも関係あるのだろうか?私もこういう絶妙に味わい深いペンネーム付けたい。私ならなんだろう?「生麩」とかいいかもしれない。
本書は哲学初心者向けに主要な哲学者31人を紹介してくれるわかりやすい入門書だ。哲学初心者であり、かつ読んでも片っ端から忘れ行く私の脳みそにも、まずは気軽に読める入門書はありがたい。ささ、サクッと哲学のアウトラインでも把握してみましょうかね、倫理の復習みたいな感じかしら。と吞気に読み始めた私は序盤で暑苦しい熱波を浴びることになる。
せっかく書く機会を得たのだから、今までにない「史上最高の哲学入門書」を目指して書くべきではないか!では、どうすればいい。今までの哲学入門書には何がたりなかったのだろうか?
結論を先に言うなら、「バキ」分が足りなかったのです。
何言ってんのかな、この人。
いや、表紙から予感はあったんだけど。
どうやら飲茶さんはクラップラー刃牙の大ファンらしい。私、よく知らんけど、筋肉モリモリの半分怪物みたいな男たちが集まって死闘を繰り広げる漫画ということで理解はあっているだろうか?飲茶さんはこのバキリズムを哲学者に持ち込んだようなのだ。
史上最強の男を見たいか!
おおおおおおおおおお!!
史上最高の「真理」を知りたいかーーーーッ!
オー―――――!
神殺しは生きていた!さらなる研鑽を積み人間狂気が甦った!
超人!!ニーチェだァー!!
儲けたいからここまで来たッ!「見えざる手」の根拠、いっさい不明!
アダム・スミスだ!!
デカカァァァァァいッ!!説明不要!!哲学界の大巨人アリストレスだ!!
暑い。暑苦しい。このテンションで31人の哲学者の入場コールが続く。ボンバイエな序文。
やや引き気味に読み始めたんだが、紹介される人物は幅広いし、順番も哲学と思想の発展をわかりやすく追えるのですんなり頭に入った。ある思想があって、その思想の穴に突っ込んで新しい思想を立ち上げて、またその欠陥を指摘して新しい説を打ち立てて、誰かがその説を応用したり肉付けしたり融合させる。そうやって哲学は発展してきたってのがよくわかる。
読んでいて人間ってなんなんだろうって改めて思う。真理ってなんだろうね、なんでそんなものに魅せられてしまうのだろう。世界の本当、とか本質、真理、というものに辿り着きたいと希求して悪魔に取りつかれたみたいに考え抜く変人が定期的に現れるのはなんでなんだろう。生きて死ぬだけの人間が、なんで死ぬまでの時間を考え事に使ってきたんだろう。
ひとりひとりの思想の深いところはこの本だけで理解はできないし、紹介されている31人以外にもたくさんの思想家・哲学者がいる。哲学体系は全然、ぜーんぜんわかっていない。でも、ほんとうにたくさんの人間があの手この手でこの世界の本当を暴こうとのたうち回ってきたんだってことはわかった。
私の見ている世界はニセモノかもしれない。私は夢を見ているだけなのかも、そう考えたことは誰にだってあるのかもしれない。映画マトリックスもインセプションも知らなくても、そうかもしれないと怯えたことがある人、多いかもしれない。私だって、そう不安になって、腕に爪を立ててつねった子供だった。
あるいは、私たちは神様の飼育箱のなかで遊ばれているだけの存在なのかもしれない、と「アリの巣観察セット」を見た時に怖くなったこともあるかもしれない。
今、外出している私の住む家、今だーれも中にいない、しんとした私の家がこの世に存在していることが不思議だ、と思ったことだってある。
そんな子供じみた幼稚な空想は、ちゃんと哲学者たちはすでに検討してくれていた。たとえば主観的観念論を唱えたバークリーは「存在するとは知覚されることである」と主張した。「物がある、というのあ確固たる物質がそこにあるから存在するのではなく、精神が知覚するから存在しているのだ」という考え方らしい。んな馬鹿な!という理論ではある。実際バークリーさんも気が狂ったと言う人もいたらしい。…だがよーーーく考えたら、簡単に否定できる?できる??できる???見えてない、触れないものは無いのと同じ??知覚ってなに?見えているものが存在、だとしたら見えるってなに?自分が見ているって思い込んでるだけだったりして?
生麩の脳みそがぐるぐるし始めたところで、フッサールという哲学者が登場する。そんでこう言った。「もし私たちの見ている世界が、見せられている夢だったとして…そんなことは証明不可能だから、考えるだけ無駄!」
だ、だよね~って思う。で、このフッサールの弟子がハイデガーさんなのだそうだ。「存在と時間」、名前だけは知ってる。
こうやって、子どもの妄想のような「もしかして」を真面目に考え抜いて世界を捉えようとした男たちが、いた。そういえば女性の哲学者は一人も紹介されていない。昔っから女は目の前の雑事に追われていたのだろうか?子どもに乳をあげながら「セカイノホンシツ…シンリ…」とか考えてらんなかったのかもしれない。いや、考えた人はいただろうけど、広めることはできなかったのかもなあ。
私の今いる世界が本当なの?でも本当って何?見えてるなら本当でしょ?でも自分だけが見てる世界だったりして…だったら悲しいし寂しすぎる。ねえ、あなたは本物のあなたですか?何言ってるのかって?…もしかして気付いてしまったの私だけだったりして?ね、宇宙を箱庭のように弄んでいる誰かがいるのかもよ?私は気付いたぞー!!って大声出してみようか。聞こえるわけないか。
死ぬことがわかりきっているのに、基本的には気がおかしくならないように、なるべく死に急がないように設計されている人間って不思議だ。なるべく死ぬまでの時間を大丈夫に過ごすために、きっと哲学は生まれたんじゃないかと思う。
生麩の脳みそは考えた。考えたって詮無いことを考えることの意味を考えた。そして頭がボンボンになったので、差し当たり考えなくてはならないことのほうを考えた。夕飯のメニューとか、仕事でかけるべき電話のこととかを考えた。世界の本質とかちょっとわからないけど、とりあえず今、私が知覚している世界はひとまず平和で穏やかなんだから、これが幸せな夢を見ているのだとしたらありがたい話だと考えた。それから久しぶりに飲茶も食べたいなと思った。