Cobee小学1年生に😊
1、綴る目的
前回書き綴ったのが5月27日だったから、約2ヶ月ぶりになるな〜。
ただこの綴りは、毎日更新することを目的としていないから、筆を持ちたいと感じた時に、感じたままの文字を残しておきたい。
あくまでも自分自身での振り返りができる場所作りのためと、
そして、ちょっと悩んだ人がたまたまふと立ち寄った光景や、
たまたまふと手に取って巡り合った本のように、
『たまたま巡り合った方々にとって少しだけでも支えとなれたら』
と自己満で綴り残しています。
2、今日の綴り
今日綴るのは
『Cobeeが小学校の宿題をしているのを見ていて面白かったこと』
ある週末の土曜日、モーニングスタディーをしているCobeeの横に座って様子を伺っていると、面白いことを言ってきた。
※Cobeeは宿題や勉強をする時間をある程度決めていて、そしてパパとCobeeの間で話をするときには、宿題・勉強という言葉を使わないようにしている。
宿題・勉強 という言葉じゃなく『スタディー(Study)』という言葉を使っている。理由は、『宿題・勉強』という言葉は誰もが大人から『しなさい!』というような感じで上から降り注がれる言葉の印象があって、この言葉自体が子供の側にたったときに、ポジティブな印象化するのが私には難しく、違う言葉を使うようにしている。
また、毎日のルーティンの中にスタディー(これから先どんな学びに対しても)は当たり前的な存在となり、Cobeeの人生で習慣化することを狙いとしているからこそ、ネガティブな印象をなるだけ小さく小さくしたいと考えている。
Cobeeは音読の練習をしていた。そして横で読書をしているパパに言ってきた。
Cobee『ねーパパ。パパも一回これ呼んでみて』
パパ『パパが読むの?いいよ』
『〇〇✖️✖️〇〇✖️✖️・・・〜〜』
『はい、読んだよ(^^) どうだった?』
Cobee『ありがとう!声の大きさを強く読んだり、弱く読んだりすると、なんか分かりやすかった!!😊✨』
パパ『そーなんだ。なんでパパに読んでもらおうと思ったの?』
Cobee『大人の人が読んだらどんな感じに読むのかな〜?って思って(^^)』
(子どもの純粋に何かを知りたいと思う探究心には本当に感心させられるな〜★)
そしてこんな事も言ってきた
Cobee『ねーパパ。大人の人は“強く読んだり弱く読んだり“するところは、みんな分かるの?』
パパ『そーやね〜、人によってちょっと違うかもしれないけど、大人の方が“強く読んだり弱く読んだり“するのは分かるだろうね。』
Cobee『ねー、この考えだったら僕たち子どもも“強く読んだり弱く読んだり“するのが上手になっていくんじゃない?』
『それは国語の教科書の“文字の大きさを変えるの!!!“』
『そうしたら、小学1年生でも分かりやすいし、聞く人も分かりやすくなると思うんですけど!!!』
パパ『なるほどね〜〜。Cobee面白いねそれ★ じゃーCobeeが書く日記とかは、そんな風にしてみるのも面白いね(^^)』
『あと、今の教科書は作り直しができないから、Cobeeは教科書に“強く読むとこ弱く読むとこ”に、自分で分かる印を付けてやってみたらどう?』
Cobee『いいねーそれ★🎵』
『〜聞く人も分かりやすくなると思うんですけど!!!』だって笑(≧∀≦)
“〜ですけど!!!“って、話し方が面白くて可愛かった(*^ω^*)
3、今回の学び
私がこの事柄から感じ学んだことは、
・自分よりもできる人たちに学びを乞う素直さ。
・できる人たちとそうでない人(自分)のやり方を実際に見て、自分が出来る様にではなく、自分と同じ境遇の人がよりやり易くなるだろうとの俯瞰的思考。
・普通…常識…といった、周りの目を気にした思考は邪念になる。
子どもを観察していると、実は大人と過ごす時間よりも多くのことを学ばせてもらっている気がする。
Cobeeももう小学1年生。
時が経つのは早いな〜
おしっこ行くのも一人で行くようになったり、
お風呂のときは一人で頭を洗えるようになったり、
成長を嬉しく感じながらも、ちょっとした寂しさも感じています。
でもCobeeの成長していっている姿を
毎日見ることができている事に心から感謝してしているよ。
いつもありがとう(*^ω^*)