完璧な交通標識のデメリット
運転免許を更新した時のこと。
最寄りの駅から試験場までは決して近い距離ではなかったのだが、その道すがら、試験場までの道筋を示した丁寧な標識がずっと掲げられていた。
その道路標識に沿って歩いていけば、最短距離で試験場にたどり着くことが出来た。
運転免許の試験場だけあって、道路標識は完璧なのだな、と感心した。
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目的地に最短距離でたどり着くのは、とても素晴らしいことだ。
それによって、多くの人間の時間が短縮され、結果として経済にプラスの影響が出るだろう。
それはシンプルに、良いことのように思われる。
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しかし実は、最短距離だからこそ、見落としてしまうこともある。
一歩道を外れたら、とても居心地のいいカフェがあったかもしれない。違う道を歩いていたら、素敵な雑貨屋さんがあったかもしれない。
一番効率的な道を選ぶのは、一見とても素晴らしいけれど、それによって偶発的な体験は失われてしまう。
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本当に優れたアウトプットは、偶然の産物であることが多い。
効率を排除し、遠回りをしたその先で、「こんなところに、こんな発見があったのか!」と、驚きに出くわす。
その偶然の出会いやコラボレーションが、思いもよらないイノベーションを生み出すのである。
そう考えると、「完璧な交通標識」は、必ずしも、個人や経済にとって100%いいとは言えないのではないか。
つまり、偶発性が設計された標識のほうが、最終的なアウトプットは優れたものになるのではないか。
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試験場からの帰り道、僕はあえて、最短距離ではない道の方に向かって歩きだしてみた。
そこには何もないかもしれないけれど、もしかしたら何かがあるかもしれない。
偶然を愛する心は、人々に、心の余裕と、小さなセレンディピティをもたらしてくれる。
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