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三流が二流になることも、一流が超一流になることもない

今回もまた、こちらのnoteでも触れた、スティーブン・キングの「書くことについて」から。

彼は、こんな面白い文章を書いていた。

三流が二流になることはできないし、一流が超一流になることもできないが、懸命に努力し、研鑽を積み、しかるべきときにしかるべき助力を得られたら、二流が一流になることは可能だ

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僕はこの文章を読んで「なるほど」と思った。

ちなみにこの本では、「三流・二流・一流・超一流」が、それぞれどんな人間であるのか、全く定義されていない。

しかし、定義されていないのにも関わらず、不思議と納得感があった。

三流が二流になることも、一流が超一流になることもない

これは、どういうことなのだろうか。考えてみよう。

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「三流」と「二流」を分けるものは、「真剣さ」なのだと思う

「真剣さ」というのは抽象的な言葉だが、要は、やる気があるかどうか、である。

つまり、「真剣さ」がない人間は、上へ進めないということ。

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そして「一流」と「超一流」を分けるものは、生まれ持った「才能」である

「一流」、すなわちプロの中にも、普通のプロと、歴史に名を残すレベルのプロがいる。

それらを分けるものは、生まれつきの「才能」であり、その「才能」は、後天的に獲得できるものではないのだ。

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ここまで読んでくると、これは一見、絶望的なことを言っているようにも見える。

しかしキングは、「二流」が「一流」になることはできる、と語っている。

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では、「二流」と「一流」を分けるものは、何か。

「二流」と「一流」を分けるもの、それは「努力」なのだと思う。キング自身も「懸命に努力し、研鑽を積み、しかるべきときにしかるべき助力を得られたら」と語っている。

さて、最初の言葉を思い出してみよう。

三流が二流になることはできないし、一流が超一流になることもできないが、懸命に努力し、研鑽を積み、しかるべきときにしかるべき助力を得られたら、二流が一流になることは可能だ

つまり、これを要約すると、

「真剣になった人間」が、適切な「努力」をすれば、誰でも「プロ」になれる

ということだ。そして、これは、真だと感じる。

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真剣になって努力すれば、誰だってプロになれる。

世界的作家の、なんとも救われる言葉ではないだろうか。何も、作家という職業に限った話ではないだろう。

あなたが「何かのプロ」を目指しているのに、まだなれていないなら、「真剣さ」か「努力」のどちらかが足りない、ということだ。

耳の痛い話だが、勇気をもらえるオピニオンでもある。


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コボ・コボボ
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