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センスって、なんだ?

手前味噌ながら、自分で自分のことを「センスがいい」と思っている。

謙虚に生きていきたいものだけれども、本当にそう思えてしまうのだから仕方がない(お前には謙虚さが足りない)。

しかし実際に、僕は、センスの良さそうな人から、「センスいいよね」と言われることは多い気がする(だから、お前には謙虚さが足りない)。

そして、この、「センスってなんだ?」と、ふと思った。

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「センスのいい人」はどこにいるのかと言えば、「センスの世界」に住んでいる。

言わば、「センスの世界の住人」だ。

「センスの世界」は実在しない。「センスのいい人」の、頭の中だけにある。

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「センスがいいと自覚している人」が、「センスの良さそうな人」から、「センスがいいよね」と言われる時、それは「私たち、同じセンスの世界に住んでいるよね」というメッセージになる(この文章は長い。要するに、センスのいい人同士は、すぐに分かりあえるということだ)。

この時、彼らは、「自分たちはセンスがいい」という自覚を持っている訳である。

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僕が言いたいのは、「センスが悪い人」は、「センスがいい人」を判断できないのではないか、ということである。

「センスが悪い人」は、「センスの良さが何か分からない」から「センスが悪い」のだ。つまり、「センスがいい」ということをジャッジできない。

すると、どういうことが起こるのか。

「センスがいい」ことをジャッジするのは「センスがいい人」だけであり、つまり、「センスがいいよね」という言説は、「センスがいい人同士」が繰り広げるお遊戯みたいなものになってしまう。

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もし、あらゆる人間が、「センスがいい」ものを見て「センスがいい」と感じるのであれば、どんな人間でも「センスがよくなれる」はずである。

しかし、世の中には「センスがよくない」人の方が、圧倒的に多い。

彼らは、「センスをよくしよう」と思わないのだろうか。そこにかけるモチベーションがないのだろうか。

その可能性もある。しかし、「センスをよくしよう」と思わない時点で、センスが悪い。

結論を言えば、「センスがいい」物・人というのは、「センスがいい」人にしかジャッジできない、高尚なアイデンティティなのである。

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何の文献なども調べずに、ただ思ったことを書き連ねてみた。

センスについてはいろいろと本もあるようなので、そういったものを(もし気が向いたら)読んでみて、何か新しい見解が加わったら、また記事を書きたい。

最後になるが、僕はセンスがいいので、僕のnoteをフォローしてくれているあなたも、もれなくセンスがいいので、そのことは素直に喜んでいいと思う、と手前味噌ながら付け加えておく。

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コボ・コボボ
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