投資と浪費の境界線
僕はどうやら、浪費家らしい。
「らしい」と伝聞調で言うのは、自分では自覚があまりなかったからだ(余計、タチが悪い)。
妻に言われたのである。「あなたは浪費家ね」と。
たしかによく考えてみると、気がついたらすでに持っているのと同じようなシャツを買っているし、美容院に行った際には必要性もないのにヘッドスパをつけてしまう。
でも、投資と浪費の違いって、どこにあるのだろうか。
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浪費家というのは、おそらく、投資と浪費を勘違いしている気がする(自分のことなのに「気がする」とは、やけに第三者目線だが…)。
すなわち、「投資」と思い込んで「浪費」をしている。
「体への投資だ」と理由をつけてマッサージを受けたり、「見た目は重要だ」と理由をつけて新しいシャツを買ってしまうのである。
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では、「投資」と「浪費」の境界線はどこにあるのか。
投資は、自分に対して、根本的な変化を与えうるものだ。
それほど疲れてもいないのにマッサージを受けることは、自分をちょっと気持ちよくさせるだけであり、根本的には何も変化がない。つまり、浪費だ。
同様に、すでに持っているのと似たようなシャツを買っても、自分に根本的な変化はないだろう。
しかし、何かの勝負のために、とてもいいスーツを仕立てる、というのは投資に入るかもしれない。
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何はともあれ、浪費はやめたほうがいいな、と僕は考えた(当たり前だ)。
それから、浪費を控えるようにしていたが、ただ我慢するだけではストレスが溜まることがわかった。そして試行錯誤しながら、いくつかテクニックを編み出した。
「持っているお金」を忘れる環境を作る
これが一番、有効である。人は、お金があると思うから、無駄に使ってしまうのだ。
具体的には、給料など毎月決まった金額で振り込まれる場合、一定金額を別の口座に自動で振り込んでおく。その口座は、絶対に見てはいけない。
また、その振り込みも手動で行ってしまうと、お金のことが頭にチラつく。自動化し、忘れてしまうのが味噌である。
「物を買う」は2種類あると知る
「物を買う」のにはどうやら2種類あるようだ、と思い至った。
すなわち、「新規導入」と「すでに持っているものの代替」である。
このうち、「新規導入」は投資になる可能性が比較的高い。例えば、ドライヤーを持っていなかった人が新しいドライヤーを買うのは、「新規導入」にあたる。
しかし、すでにヒートテックを持っている人が、「新しいデザインの物が出たからヒートテックを買い換えよう」となるのは、「すでに持っているものの代替」だ。
物を買う前に、これは「すでに持っているものの代替」ではないか?と自分に聞いてみる。すでにあるもので満足している場合、それを買う必要は、ほとんどない。
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浪費を控える方法を2つ紹介したが、投資のためのお金は、惜しむ必要はない。
若い時も、年齢を重ねてからも、投資にはどんどんお金を使った方がいい。
そして、なんでもかんでも我慢するのも違うと思っている。ストレスを感じてしまっては本末転倒。幸せに生きることは大前提としてある。
しかし、僕らは意外と簡単に幸せを感じられる。たとえ南国に行かなくても、コンビニスイーツひとつで人間は幸せになれたりする。
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人は基本的に、成長を求めている。成長とはすなわち、変化である。
人が何かを「欲しい」と思うのは、今の自分から変わりたいから、すなわち成長したいからなのではないか。
その欲求自体は、決して悪いことじゃない。だからこそ、消費行動は奥深いな、と感じるのである。
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