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『今日学べ』「生き残った」私からの魂の訴え
「今日学べ」は、埼玉県の私立進学校『栄東』やスポーツや野球で有名な『埼玉栄』、『花咲徳栄』高校等を経営する学校法人佐藤栄学園の校訓です。その意味は「明日に甘えることなく、今日できることは今日のうちにやるという姿勢をめざしたもの」とのことです(同学園HP)。
さて前回、私傷病を原因とする「傷病休職」につき、本欄で述べさせていただきました。ところがつい最近、私自身が思わぬ交通事故に遭い、仕事を休まざるを得なくなってしまいました。そのとき、上記の校訓を思いだしたのです。なぜなのでしょうか。その理由は、次の通りです。
私はその日、弊法人が主催した公開セミナーに出席し、ハンセンの「4L」を研修しました。しかも、そこで1年後や3年後の自分の姿を想像、シートに記入したばかりだったのです。だがその帰途、横断歩道を青信号で通行していたこの私に、右折してきた車が衝突してきました。わき見運転であったようです。
すぐに私は救急搬送されました。幸いにして大事に至らずに済みましたが、救急隊員からは「奇跡」だと言われました。もし頭でも強打したならば、こうしてコラムを記すこともできなかったことでしょう。車いすやベットで寝たきりの人生を余儀なくされたのかもしれません。幸運だったと思います。
しかし、まだ右腕や右脚が痛みます。指先に痺れもあります。それでも、たとえ手足を失っても、脳みそさえ無事なら何とかなる、と周囲に強がりを申しました。でも、内心は穏やかではありません。しかも、事故現場が自宅近くであり、毎日その現場を通らねばならないからです。これも、つらいですね。
みなさん。たしかに来年や3年後の自己の未来像を思い描くことも大切です。だが、人生には「上り坂、下り坂、そして『まさか』という坂もある」と申します。そうであれば、もっとも大切で為さねばならぬことを厳選し、今日はそれに集中すべきではないでしょうか。とくに社会人にとっての勉強は、当たり前ではありません。環境的に今、それらが可能であっても、来年までそれが許されるのかにつき保証はないからです。今がたまたま、幸運なのです。
だからこそ、あの森信三先生は次のように我々を戒めたのでしょう。
「例外をつくったら、だめですぞ。今日はまあ、疲れているからとか、夕べはどうも睡眠不足だったとか考えたら、もうだめなんだ」
「自分が現在、なさねばならぬと分かった事をするためにそれ以外の一切の事は、一時思いきって捨てねばなりません」
以上は、危うく死にかけた私からみなさまへの、心からの訴えです。
「今日学」びましょう。泥臭く懸命に、そして悔いなきように。
同時にドライバーのみなさんへ。あなた方の不注意が、被害者の人生を一瞬で暗転させてしまいかねません。酒気帯びでの人身事故なら、年末年始は留置場で迎える羽目になります。ご自身やご家族のためにもご注意ください。
オイカワ ショウヨウ
横浜市生まれ。法政大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
複数の国家資格を有し、『一般社団法人地域連携プラットフォーム』に在籍する傍ら『法政大学ボアソナード記念現代法研究所』研究員を務める。 『府省共通研究開発管理システム(e-Rad)』に登録され、研究者番号を有する研究者でもある。横浜DeNAベイスターズの「日本一」を心から喜ぶ。