どうか、幸せなコーチを選んでください
最近の私のテーマはナラティブ界隈なのか?と思うくらい、今日もその話題です。あなたがコーチをつける時、コーチの選び方の参考になればいいなと思います。
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さてさて
コーチという職業をしていると、まあ同じような仕事の方とのお付き合いも多いものです。
大体の方が「辛かった私」「不幸だった私」「悩んでいた私」「いじいじしていた私」がコーチングで変わりましたよ、だからあなたも私のようになってね(羨ましいでしょ?)(きらきら)、というPRをされます。
(しなさいという指導をする人もいます)(ストーリーで落差を語るといいそうです)。
私、これあまり好きではなくて。
相手の辛い部分と同じ体験をしているかどうかはプロのコーチには大して重要なことではなくて
体験よりも共感、客観性と共感のバランスが重要だと思っています。
これはもはやコーチングのテクニックでなんとかなるものではないかもしれませんね。
というのも、自分の辛い体験が変な思い込みになっているコーチって、いるんです。
なんか薄暗いコーチっていませんか?もしくは、ペラっと陽気なコーチ、そういうコーチにはちょっと注意かも。
あなたを妬むコーチ、成長を疎ましく思うようなコーチ、嫌じゃないですか?
コーチは限りなく幸せであれ、できれば過去も。と私は思います。
自分の幸せを知り、今が幸せであるのはもちろんのこと、
過去のネガティブな体験を全てポジティブ、じゃなくてもいい。ラテラルに変換しているのが私が思う理想のコーチです。
そうであれば、きっとPRに不幸自慢なんてしないと思いますから。
どんなコーチを選んだらいい?と聞かれたら、そう答えると思います。
だから私は、自分が不幸せだと思ったら廃業するでしょうし、コーチである限りは幸せでなければならないと思っています。
私が唯一「ねばならない」と思っていることは、それ。
だから不幸自慢や辛い自慢、忙しい自慢はしたくないし、自慢に思っていないからできないです。
本当かどうかはわかりませんが、
昭和天皇のエピソードで、
陛下が谷崎潤一郎の「春琴抄」を読まれて
「自分が盲目になっては女性を助けられない。これは本物の愛ではない」とおっしゃったとか、というものがあります。
まったくの同意です。
聖書には「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とあります。
これはコーチにおいては、傘をささずに雨に濡れろということではないと私は思っています。
自分が濡れているから相手にも濡れてほしい、または、
相手が濡れているから自分も濡れなければならないという思考
行き着く先は心中じゃんね?