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気づきの支援日誌7/9

コーチングサービスをご利用いただいている方々のお話を伺っていると、不思議な体験をすることが多々ある。

そのうちの1つが、突然ひっぱられる感覚に襲われるというもの。
ちなみに、スピリチュアルな話ではない。

お話を伺っていて、このお話はいろいろな観点から受け取ることができそうだけれど、どの観点から理解を進めていこうかと、少し迷うことがある。

試しにひとつの観点を選び、理解を進めていくと、たいていの場合、観点の補正というか、まるで誰かに「あなたの位置はここですよ。この位置からこの話を理解してください」と諭されるような認識の調整が入る現象と共に、強い力でひっぱられるような感覚を体験する。

しかも、その観点に立つと、とてもおさまりがよく、お話への理解がしやすくなる。

もちろん、ご利用されてる方が、暗に話の筋を明確にする言い回しをされる場合もある。
けれど、それはひっぱられる感覚とは異なる。

ひっぱられる感覚は、「この受け取り方はちがうな」と違和感に直面し、同時に「ここですよ」と強制補正が突然起きる時に体験する。

おそらく、それまではクライエントが共有してくださった様々な感じ方の枠組みやパターンに関するヒントを、僕に学習させていて、そのプロセスではそのことに僕は気づいていないけれど、ある時、別のお話を伺っていて、それをある既存の観点から理解しようとした瞬間、学習したパターンが「そこじゃなくて、こっちだよ」と、新しい理解の枠組みのある場所に強制連行する。
そして、話されていることが理解しやすくなっているという展開に至る。

具体的に振り返って整理していたら、思いついた。

「アブダクション(abduction)」の感覚かもしれない。
アブダクションとは、推論のあり方の1つ。
ざっくり言えば、それまでの理解に反するような事象に直面し、その事象を説明するためには、こういう仮説を導き出さないと辻褄が合わない、という創造的な発想の仕方で仮説を立てる推論方法のこと。

アブダクションの定義にはないとは思うけど、このひっぱられる感覚は、本当に「abduction(拉致)」されるような、抗えない感覚がある。

このことからも、クライエントを理解しようとするプロセスは、いつも後から自分の理解を修正して、よりクライエントの感じていることに近い理解にブラッシュアップし続ける営みになるんだな、と。

そして、おそらくクライエント側でも似たようなことが、クライエント自身の自己理解や現実認識の変容の際に起きている。「話していて思ったんですけど」で、語られる時がそうかもしれない。
それで、こちらも理解内容を後追いで合わせるために修正を続けていく。

カール・ロジャーズのカウンセリング理論によると、こうした相互作用が、建設的な内省を促進することにもなっている。
そう言えば、ロジャーズも共感的理解をしていくための話で「推理」「仮説」「検証」という仮説推論の言い回しをしていたな。

他者理解は、推論によるものだというネオ・プラグマティズムの説に感動したけれど、プラグマティズム創始者の科学哲学者チャールズ・パースの仮説推論方法としてのアブダクションにも感服することになるとは…

コーチング業界やカウンセリング業界で「直観」とされていることは、アブダクションのことかもしれない。

ここまで書いていて思った。やっぱり、コーチングサービスをご利用くださる方との体験から、大きな学びを得ることは多い。

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