自分に嫌われるようなことはせず、誠実でいたい、と思う
週末から、しばし休んでいた筋トレを再開。
きのうは久しぶりにジョギングもしてみた。
筋トレは毎日続けられていた頃にはできたことや
できていた回数が全くこなせず、、
それはもうきつい…と思いながらやっていたのだけど、
ジョギングはものすごく久しぶりだし、
午前中早い時間とはいえ日差しもすでに強く
めちゃくちゃ暑かったんですけど、
今こうして走っていることは、
やらなくてはいけないこと(やせなきゃ、運動しなくちゃ)としてではなく、やりたいからやっていることだな、
と、思えていることがちょっと嬉しくて、
ものすごーく汗だくだったんですけど
なんだか気落ちがよかった。
*
録画してあったドラマ「持続可能な恋ですか?」を
最近夫と楽しみにみている。
今日は在宅勤務だった夫とお昼ご飯を食べながら第7話をみていたんだけど、心に残ったセリフがあった。
日向(整形外科医/井川遥)さんに、
“結婚のコツ”
を聞かれた林太郎(辞書編纂者/松重豊)さんが
と、言っていて、
まず、コツ=本来は骨のこと で
人によって違う、っていうのも
なるほどー!!だったんだけど
「自分に誠実でいたい」というところにも
改めて、そうだよね、、となり、
なんとなく、、
背筋がのびるような気もしたんですよね。
自分を大切にしよう、とは思ってきたのです。
特に、
そのものの自分を認めず、
自分の奥のほうに追いやり、
自分を守るためにつけてきた仮面や鎧を自分だと思って生きていたころの息苦しさを手放してからのわたしは、
自分の声を聴いて、
その声を無視したり傷つけたりすることなく
自分を生きる、と決めて生きてきたし、
前よりずっと、自分を信頼できるようにもなったと思う。
でも、「自分に誠実でいたい」ということばを
なんだか新鮮に感じたことで、
もしかしたらわたし、
一番長く付き合っていくパートナーである自分との”信頼関係”という視点が、ちょっと抜け落ちていたのかも、、と思ったんですよねー。
どういうことかというと
自分を信頼する、自分を好きでいる、
とは強く思ってきたけれど、
自分に信頼される自分でいる
自分に好きでいてもらう自分(嫌われない自分)でいる、とはあんまり考えられていなかったかもな、と。
自分に誠実である、ということばから
どうしてそう思ったんだろう、と自分でもよくわからなかったのですが
誠実であることの先には、
信頼、があると思っているからなのかも。
「自分に誠実に」
ってどういうことか、考えてみる。
たとえば、
自分にうそをつかない。
自分との約束を大事にする、ということかな。
↑両方、これまでもそうしようと思ってはきたことではあるけれど、
それが(自分に)誠実であること、
と思うと、より大事にできる感覚になる気がした。
(わたしだけ?w)
言い方の問題という気もしますけどね。。^^
だって相手は自分なわけなので。
そうではあるけれど、
ことばをどう受け取ることができるか
は大事で、
自分への声掛けは
自分にとって、より効力がある言い方のほうが
よりいいですよね。
わたしにとっては、
自分を大事に、も必要だけど、
自分を裏切らない、と考えるのもよさそうだし、
自分を好きでいられる選択をしよう、と
思ってきたけれど、
一方的に「好きでいる」のではないわけで、
自分に嫌われない選択をする、
というのも(考え方も)
自分との関係性をつくっていう上ではよさそうだ。
なんて思ったりしていました。
あれ、、、
伝わるのだろうか、今日のわたしのnote…笑
と、もやもやしておりますが、、
つまりは、
「自分に対して誠実であるかどうか」
は、わたしにとって、
大切にしたい問いのひとつに
加えられた、というお話しでした。
***
出会ってよかった、と心から思っている、
大好きなサービスをお届けしています。
*