本当の自分を生きる!を全力応援!
sakoです(*^^*)
It seems to me that you are very tender.
高校卒業アルバムの裏ページに書かれたメッセージ。
英語が不得意の私…tenderってなんだろう?辞書をひいてみた。
やさしいってことか…そう理解していた。
それから、30年、幾度か別れの場面でいただいてきた色紙にも、英語で書かれることはなかったけれど
「いつも優しくしてもらいました」
「優しさに癒されました」と、
優しいというワードは、
私を現すものの一つ、私から発せられ、受け取ってもらっているものでもあるのだな…と認識していた。
今、コーチング・カウンセリングを仕事にするようになって、
自分は相手に何ができるのか?
どのような存在となり得るのか?
私の特性は?を自問自答することが増え、この私を現してくれるワード
〈やさしい〉が気になりはじめていた。
やさしいって何?
やさしさって何?
やさしい感じって何?
本当のやさしさって何?
人が求めるやさしさって何?
私が〈やさしい〉という言葉を使う時
まず、このひとは、人を傷つけないと感じた時
人に害を与えないという意味合いから…
人を守ろうとする行為まで…幅はひろい。
そして〈やさしい〉が故に、
傷をたくさん持っている人…
それ故、心を閉ざしている人から…
怒りで自己防衛している人まで…幅はひろい。
どちらにせよ…傷=悲しみが、
私の〈やさしさ〉のキーワードであるようだ。
金八先生の贈る言葉♪のように
人は悲しみが多いほど 人にはやさしくできる…ということなのか
私の傷…大きくは長年、女であることで両親を落胆させ、生まれてこなければよかったのにと自分を自分で傷つけてきた傷。
そして、裏切られたことの傷、仲間外れにされたことの傷、信じれる人がいないことを信じてきた傷、人に理解されないことを信じてきた傷…
そんな傷を無いものにしたくて、隠して走ってきたが、同じ傷を抱えた人は、そんな傷や悲しみに、共感、やさしさを感じてくれるのだろうか。
私は26歳の時 赤ワインのような血尿と共に、2か月の入院と2年の療養生活をすることになった。物言わぬ臓器でもある腎臓の機能が失われ、このままでは5年…もって15年と当時言われた。
私の入院病室は、60歳前後の糖尿病の女性3人と一緒だった。透析をされている人、尿毒症で尿が出ない人、全盲の人…。なかなか重い症状なのだが その部屋の雰囲気は明るかった。
テレビに美味しそうなラーメンが映ると
「うわぁ~食べたいわーー!」
「美味しそうやわーー!」と女子校のような歓声が部屋を包む♪
食事の時間には、
「このご飯の量見てみ!こんなちょっとやでーー!」
茶碗に三口ほどのちょこんとした白ご飯…。私は糖尿病ではないので、たっぷりのご飯…。
でも、なぜか悲壮感はなく、それを笑いに変えるおば様たちに、私も笑わせてもらっていた。
毎週月曜日の朝の回診は、大学病院だったこともあり、若い学生と先生がぞろぞろ来て、ベットをぐるりと囲む。
その視線の中での聴診器に、こんなん意味あんの!!なんでこんなことに、同い年くらいの学生に囲まれながら胸を出さなきゃいけないのかと大嫌いな時間。そんな私の気持ちを察してか、おば様たちが、
「うちら、こんな歳やから大丈夫やと思ってるやろ?いくつになっても一緒やねんで」
「えーー!そうなんや。60歳やったら恥ずかしくないかと思ってた…。みんな一緒の気持ちなんや」
名前も覚えてないけど、20年経った今も、同じことを感じた気持ちはしっかり残っている。
あの時、共に過ごしたおば様たちの顔、表情、空気はしっかり私の中にある。
その中の一人、全盲のおば様…。
私が〈やさしさ〉を考えはじめて、もしかしてこの方が私の人生史上…
〈やさしさ〉NO1なのではと、記憶が蘇ってきた。
この方から感じる〈やさしさ〉は存在そのものからだった。
なにか大きなものを受け入れ、感謝のみで生きられているような。
全盲で、ご自身の顔を見ることも無い方ではあるが、きれいな人だな…といつも感じていた。透明感と慈愛にあふれた、菩薩のような美しさ。
糖尿病からの症状である、足が壊死する、人工透析になる、視力を失う…どれも怖い…なかでも視力を失うは…ショックが大きすぎると想像していた。
だが、この方が語るあっけらかんとした日常。
「もう、何回電信柱におでこぶつけたかわからへんわー」
「家に帰ったら、電気付けといて!って、娘にいつも怒られるねん。ビックリするやろっ!て…。私、見えへんねんから付けても一緒やし(笑)」
何にも見えなくて、こんなにピュアで屈託なく生きれるもんなん…。まぶしいくらいの明るい表情と、澄みきった声…美しい。こっちが泣きそうなくらいの美しさ…神々しさ。
なにかの本で読んだ…地獄にも仏様がいるお話を思い出した。
仏様は地獄にもいらっしゃるそう。むしろ、本当に仏様に会えるのは、自分が地獄にいると感じている時…。仏様はだれ一人見捨てない。だから、先に辛い地獄の底に行って、待ってくれているという。
私が感じた〈やさしさ〉は、この仏様を見たからかもしれない。
何を言うわけでもなく、するわけでもなく、そっと隣にいて、見る方向を変えてくれる。
また、顔をあげれば…楽しいよと。顔さえあげれば…楽しいよと。
地獄で光を見た人が、仏様になるのかな。
あなたは あなたに愛されている
sako