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自分の感情すら認められなかった私の「自己を整える」道のり

こんにちは、コーチェットのトレーナーをしている もん といいます。
主にリーダー向けプログラムでコーチング習得のサポートをしています。
今日はコーチェットが提供するサービスの軸としてある「自己を整える」「自己を高める」「他者を育てる」という3つのなかの、「自己を整える」ために使っている考え方について、自分の例を交えながら書いてみます。

そもそも「自己を整える」ことがすべての土台としてあり、その他の要素につながっていきます。
その土台が私にとっては当たり前でなかったこと・できていなかったことが多くありました。感情や思考が発生していた背景を扱い「自己を理解する」ことでそのプロセスが進んでいったことが、自分を語る上でもプログラムのなかで「自己を知る」ことのサポートからはじめている意味でも、この機会に書いてみようと思います。

「自己を整える」ために使った考え方

少し私のことをお話すると、コーチングを学ぶ前に「キャリアコンサルタント」という資格を取得しており、そのなかで学んだ考え方で「自己を整える」「コーチング」にも通じている部分がいくつかあります。

特に大事にしているのが、「相手のなかに答えがある」という姿勢をもって目の前の人と向き合うことですが、理論として学んだこととして、「ABC理論」「イラショナル・ビリーフ(非合理な思い込み)」があります。

ABC理論とは

ABC理論とは、心理学者のアルバート・エリスが提唱した概念のひとつで、簡単にいえば「感情は”出来事”ではなく”捉え方”が引き起こす」という考え方です。

A:Activating Event(出来事・経験)
B:Belief(信念・思考の癖やバイアス)
C:Consequence(結果として生まれる感情・行動)

ABC理論 アルバート・エリス

自分のなかで起こっていることを捉えようともがいて「事実」「解釈」「感情」を分けることをしはじめていた時期に理論としてこれを知りました。
そして私が苦しいときは往々にして、解釈の部分で「イラショナル・ビリーフ(非合理な思い込み)」や「自動思考」「認知の歪み」が発生していました。

陥りがちな自動思考(認知の歪み)

1. 全か無か思考
→ 物事を見るときに、「白か黒か」という2つに1つの見方をしてしまうこと。
2. 一般化のしすぎ
→ 1つの良くない出来事があると「いつも決まってこうだ」と考えること。
3. 心のフィルター
→ 1つの良くないことにこだわってくよくよ考え、他のことはすべて無視してしまうこと。
4. マイナス化思考
→ 単によいことを無視するだけでなく、なんでもないことやよい出来事を悪い出来事にすり替えてしまうこと。
5. 結論の飛躍
→ 明確な根拠がないのに悲観的な結論を出してしまうこと。
6. 拡大解釈と過小評価
→ 自分の短所や失敗を大げさに考え、逆に長所や成功したことをあまり評価しない。
7. 感情的決めつけ
→ 自分の感情が現実をリアルに反映して、事実を証明する証拠であるかのように考えてしまうこと。
8. すべき思考
→ 何かやろうとする時に「~すべき]「~すべきでない」と考える。
9. レッテル貼り
→ 自分や他人に極端なレッテルを貼って、そのレッテルでしか見られなくなる。
10. 自己関連づけ
→ 良くないことが起こった時、全て自分のせいにしてしまうこと。

デビッド・D・バーンズ 認知の歪み

この種類をみて、ご自身に当てはまるような場面や傾向はあるでしょうか。
私自身は「1. 全か無か思考」「6. 拡大解釈と過小評価」「8. すべき思考」「9. (自分への)レッテル貼り」「10. 自己関連づけ」など認知の歪みのオンパレード状態で過ごしていた時期が長かったです。
そしてまったくそのことに気づかず、決めつけや「〜しなければ」に取りつかれて行動していました。
ただそのこと自体というより、「それが自分の本当になしたいことやありたい姿に対して、どう影響してくるか」ということが重要なことだと思っています。
本当は自分や他人の価値を認めて、建設的なコミュニケーションをして関係作りをしていきたい。その想いにはさっぱり役に立っていないことに気づき、修正していこうと奮闘していた日々があります。(がんばった・・・し、がんばってる・・・)

理論を知ってからの実際

自分のこれまでを振り返ってどんな変化があったかというと、何かあっても出来事や思考を捉えなおすことで、少しずつでも回復できるという自信を手に入れてきました。
それができなくなるくらいエネルギーが消耗することもあるのですが、それでも自分のリカバリー方法を着実に身につけてきた実感があります。
でもそれってしようと思ってできることなの?机上の空論では?と言ってくる私もいました。
かつて心理学や自己啓発本に対し「わかっててもできない」ことに苦慮していた経験があるので、その部分を更に書いてみます。

どんな変遷があったか

この理論を知ることでまずは何が起こっているか「理解」できたというのは第一ステップでした。問題はこれをいかに日常のなかで自分ごと化する習慣をもてるか、というところです。
これは漫然と過ごしているとできません。自分に気づくためのセルフモニタリングが必要です。

今思うと何よりも大変だったのは「感情に気づく」という部分です。思考の方法は言語やイメージなど人それぞれかと思いますが、私は頭の中で文章で考えるタイプなので、思考自体を捉えることは容易にできました。

ただ自分の「感情」というのはあまり扱ったことがなかったので難しかったのと、(「プルチックの感情の輪」という感情の種類を図式化したものは参考になりました)
もうひとつ苦労したのは「その感情を抱くこと自体」を責めていた自分がいました。
例えば「誰かを傷つけてしまった」と思うことでの「罪悪感」「申し訳なさ」「悲しさ」が生まれたときに、「こんな自分は罪悪感を抱く資格すらない」というようなことです。
つまり「感情を認める」こと自体を難しくさせる自分がいたのです。

そんな風に「自分に対してジャッジをする自分」と対峙していきました。
全くもって自動思考で「こんな自分はいけない」というのが先にきていたので、そこは「事実」をありのまま捉えたあとに、「評価」や「判断」ではなく自分の感情や思考の存在を認め、「どうありたいか」を問い直すよう癖づけてきました。
やったことのないそのプロセスを習慣化することはほぼ「トレーニング」の道のりでした。

慣れてきてからは、何かを決めつけたり「こうしないとだめだ」となったときには、その思考の後に「と、今”私”はそう思っているんだ」と続けるなど、状態を正しく捉えようとし続けています。

そのように「モニタリング」しはじめることでわかったことは、
・自己否定、自責が癖になっている
・「〜しなければならない」と自分で自分を縛って苦しむ

というようなパターンで、その苦しさの裏側には、全くもって無自覚に「このままの自分ではいけない」という考えや、「ジャッジをしている自分」が潜んでいました。
それらが生まれる理由としての、更に底にある原体験ももちろんあって、自己対話として取り扱っているテーマでもあります。

伝えたいこと

自分で自分を苦しくさせてしまっている考え方はありませんか?
社会のなかで、家庭の中で、コミュニティのなかで、誰かと関わっていく私たちにとって、「自己を整える」ための考え方が、何かの振り返りのきっかけとなりますよう。


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