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悪魔の名は妻、天使の名は、、

海外旅行の準備は順調に進んでいた。
今回の旅のデスティネーションはマレーシア、クアラルンプールである。

夫婦で「旅行に行こう!」と話が出ると、自然と海外のデスティネーションが話題になることが、常々心地良いと思っていた。

旅に出る時、人生の伴侶である妻から
「私、ウォシュレットのないところには行きたくないわ!」
とか言われて、海外旅行の夢が潰えてしまう、といったことがなかったことに僕は心底感謝していた。
その上、妻は英語ができる。感謝の二乗だ。
パートナーと趣味が合うって大事なことだし、実際合っていることに感謝していた。

飛行機も、ホテルも、予約は完了。
暖かい国だから重装備はいらない。
もう、気分はウキウキである。

その時である。妻が不安げな面持ちでこう持ちかけてきた。

「ねえ、クアラルンプールの空港に着くのが深夜の1時じゃない。
 そこからホテルまでって、どうやって行けばいいのかしら?」

僕は、答えを持ち合わせていなかった。
ほんとだ、どうやっていけばいいんだろう?
電車も終わってて、バスも終わってたら、、、

確かに、東京だったら終電も終わってるし、バスなんてとっくに終わってる時間帯だ。(もしかして空港からタクシー?)心の声が震えている。

僕は、成田空港から東京都心のホテルまでのタクシー代を想像して背筋が凍った。
タクシーなんてありえない。じゃどうやって、どうやって、、、
頭の中でぐるぐると考えを巡らせていた時だ。

妻が、正解を見つけた!と言わんばかりの確信に満ちた声でこう言った。

「ホテルの送迎を予約しない? 」

「えー、送迎車なんて高いんじゃない?」

「でも、仕方がないと思うの。慣れない異国の空港で、電車もバスもなくて夜中に途方に暮れるよりいいと思うわ。あなたは空港で寝たい? 私は嫌」


あー、まずい展開になってきた。
妻が、「これしかない」とか「しかたない」と口にした時、いつも僕は想像を超える出来事に巻き込まれてきた。

例えば、こんなふうに。
「どこのスーパーに行っても、お米が売ってないのよ〜。何軒目かでやっと見つけたから買ってきたわ。これでひと安心ね」
と妻が、よっこらしょっと買い物袋から出してきたのは、特Aランクの新潟県魚沼産のコシヒカリだった。

こんなこともあった。
おじいちゃん・おばあちゃんと孫たちが思い切り遊べる機会を作りたいと妹夫婦を交えて3家族旅行を企画した時のことだ。

「ホテルを予約するがの遅くなっちゃって、気づいたらスイートルームしか空いてなかったの」

キムタクでなくても
「おい、ちょっ待てよ!」
と言いたくなる瞬間だ。


おそらく今回の出来事もその延長線上にある。長年の勘で僕には分かっていた。

「あー、じゃあ、電車もバスも動いてなかったらタクシーにしようか。そっちの方が安いでしょ」

妻は、小首をかしげながら
「でも、電車もバスも動いてないとしたら、タクシー乗り場に長蛇の列ができてそう。深夜に着いて、疲れてるのにタクシー待ちって辛くない?」

僕の頭の中にも、落雷とかで急に電車が止まって、駅に何百メートルものタクシー待ちの行列ができている様子が浮かんでいた。

確かに。それは辛いに決まってる。辛すぎる。

妻は、一歩一歩慎重に外堀を埋めながら、本丸を攻め落としにかかっている。

「もしよ、タクシー待ちが1時間とか2時間とかだったら、ホテルに着くのが3時とか4時とかになっちゃうでしょ。次の日の午前中は使い物にならないと思うの。それって、もったいない気がするの」


こうして、僕たちはホテルの空港送迎サービスを利用することになった。
予約は、妻がクリックひとつであっという間に終わらせた。「カチッ!」

ウェブサイトでその料金を見た時、僕は
「妻は悪魔に違いない」
と目頭を押さえた。



妻のおかげで、深夜のクアラルンプール空港には
「Mr&Mrs  HASEGAWA」
と書かれたA4サイズのホテル名入りの紙をもった若者が待っていてくれた。

深夜のがらすきの高速道路を小1時間ほど走り、僕たちを乗せたベンツはホテルに滑り込んだ。


おかげで翌日は、朝からクアラルンプール探索に出かけることができた。
僕たちは、滞在初日からペトロナスツインタワー(サムネ)をはじめ、クアラルンプール中心部を存分に楽しむことができた。


    〜  楽しい数日が過ぎまして  〜


そして、いよいよ明日は帰国だという日。
部屋で荷造りをしている僕に、妻はこう言った。

「X(ツイッター)で、日本人のタクシードライバーを見つけたのよ」

マレーシアには、Grabというアプリがあって、これを入れておけば、あっという間にタクシーを呼ぶことができる。
呼ぶというより、最も近くにいるタクシーが向こうから、ぼくらの居場所まで来てくれて、拾ってくれる。

これはタクシー会社のサービスではなくて、一般の人がお客がいればお金をとって乗せていい!というサービスだ。
日本では「白タク行為」と呼ばれ、法律で禁じられている(2024年4月から条件付きでほんの一部だけ解禁された)。

バスの路線図も地下鉄路線図も頭に入っていない異国の地で、ちょろちょろ移動するのにこれほど便利なものもない。しかも明朗会計で料金も安い。
同じくらいの距離を移動するのに、モノレールとタクシーを乗り比べてみたら、タクシーの方が安かった事が決め手になって、どこに行くにもGrabを使った。

こちらでは、客を車に乗せるのに”無線タクシー”といった仰々しい設備はいらない。
ネット接続されたスマホさえあれば、自分を呼んでいる客をすぐに見つけることができる。この神の如きマッチング機能、デジタルでよかったと思う瞬間だ。

そのGrabで、日本人運転手をすでに確保してあるというのだ。
帰りは時間に余裕もあるし、電車で空港に向かえばいいやと考えていた僕は、またしても妻に不意を突かれることとなった。


Xには「日本人はお安くします」
と日本語で書いてあったそうだ。

チェックアウト後、妻がGrabでその日本人ドライバーを呼んでくれた。
タクシーは、あっという間にホテルの車寄せにやってきた。

僕らは、ホテルから空港までの往路と同じ道のりを、
”目玉が飛び出るような往路の金額の数分の一の値段”で、送り届けてもらった。

復路では、彼のマレーシア移住の体験談を聞いたり、僕たちの旅の話をしたりした。無口だった往路とは正反対で、狭い車内で大いに話が弾んだ。

若いドライバーは、Grabで生活費を稼いでいるらしく
「またクアラルンプールに来ることがあったら、呼んでくださいね!
 お安くしときますから」
と明るい笑顔を残して帰っていった。


妻は、何事もなかったかのようにキャリーバックをごろごろ引きながら、空港の出発ロビーへ向かって歩いていく。

僕は、タクシーに深々と頭を下げたあと、あまりにも頼りになる妻の後ろ姿を目で追いながら
「もしかしたら、こいつ天使かも」
とひとりごちていた。