僕が窓際を譲らないわけ
会社勤めをしていた頃、7階の窓際の席に座っていたことがある。
眼下には日本最古の洋風近代式公園である日比谷公園が広がり、四季折々の移り変わりが美しい。
東京の都心だというのに、皇居を挟んでいるためお向かいにあたるビルは、地下鉄3駅分の距離があるほど眺望が開けていた。
こんな眺望はいくら望んでも手に入るものではない。
ニューヨークで言えば、セントラルパークの南端に建つビルから北側を望む感じだろうか。
僕の席からは、定点観測のように季節の移ろいを確かめることができたし、天気
の変化もよく分かった。居並ぶビル群も時代とともにその背丈を伸ばして行った。時代の変化まで見渡すことができたのである。
眺望は得難い価値であり、お金が取れる理由も分かる。ビューイズマネーである。
一方で、一瞬で姿を変えていくまさに一期一会と言えるような風景を見せてくれる眺望もある。それが飛行機の窓から見る景色である。
オフィスからの眺望が日常の贅沢なら、飛行機の窓からの眺望は非日常の贅沢だ。
羽田から秋田へ向かう国内線。着陸時間に日没が重なった。季節は実りの秋。
秋田平野に広がる水田の稲穂が、夕日を浴びて金色に輝いていた。
「金の稲穂だ!」
稲穂は時々風に吹かれて波打つように揺れた。黄金のウェーブである。
なんて美しい景色なのだろう。こんな水田が日本中にあるのだ。日本は本当に美しい国だと思った。
神々しいほどの風景は、飛行機の高度が下がったことで、あっという間に見えなくなって行った。一瞬だったことで、より深く記憶に残った気がした。
国際線でも忘れ難い風景があった。
成田空港からロサンゼルスに飛んだ時のこと。
太平洋を横断したのは夜中で、窓からは何も見えない。
機内の照明は落とされ、乗客の多くはブラインドを下ろして眠りについている。
私も眠り込んでいた一人だった。
寝返りも打てない窮屈さからだろうか、目が覚めたとき、すっきりしない気持ちでブラインドをあげた。
空は白んできており、飛行機は既にアメリカ大陸に上陸する直前だった。
目の前には大きな街が見えている。高いビルもある。サンフランシスコだった。
まだ降り立ったことのない街を上空から眺めて「これがサンフランシスコかぁ」と呟いた。
その時だった。飛行機は機首を右に90度曲げて海岸線に沿って南下し始めた。
アメリカ西海岸を空から眺める贅沢な朝に釘付けになった。
やがて、目的地のロサンゼルスが見えてきた。
高度も下がってきたのか、僕の目が覚めてきたのか、サンフランシスコよりはっきりと街の輪郭が見えてきた。そしてぐんぐん近づいていくと、ビルはどんどん大きくなり、その街がメガシティであることに気付かされる。
ステイプルズセンターだろうか? 巨大な駐車場に囲まれた円形の建物も見えた。レーカーズの試合観戦も旅のスケジュールに入っていた。
また、ヒューストンからメキシコシティに飛んだ時も、
飛行機が向かっている場所がメキシコシティだとすぐに分かった。
なぜならその街の上空には、噂どおりのまあるい雲がかかっていたからだ。
雲の正体はスモッグだった。周辺人口も含めると2000万人を超すラテンアメリカを代表する都市だ。
日本でも環状8号線を走る車の排気ガスが作り出す環八雲が有名だが、飛行機からも見えるという桁違いのスケールだ。
アメリカ西海岸といいメキシコといい、そこは乾いた大地であり、景観が雲に覆われて見えなくなってしまうということがなかった。
ヨーロッパでも忘れられない景色がある。
ベルリンの壁崩壊のニュースを聞いて、いてもたってもいられず、ベルリンに飛んだ時のことだ。
訪ねたのが壁崩壊から一月近く経過した12月だったこともあり、一時の熱狂は落ち着いていた。壊された壁を見てまわり、様々にペインティングされた壁のかけらを拾って、東西冷戦終結という歴史の一部になろうと考えた。
それにしても、真冬のドイツは寒かった。壁に沿って歩いているだけでも頭痛が
してくるほどの寒さだった。帽子を持ってこなかったことを心底後悔した。
「この寒さから逃れたい」
気がついたら、イタリアはミラノ行きの飛行に乗っていた。
冬のドイツの雲は重く分厚い。
私は東北地方の出身なので、そうした気候には慣れているはずだった。福島も冬の雲は厚く雪も降る。しかし、気温の下がり方が福島の比ではなかった。
空路、ベルリンからミラノへ避寒の旅路だった。
ベルリンの空港を離陸するや飛行機は分厚い雲の中へ突っ込んでいき、窓からは何も見えなかった。
機体が水平飛行になった時である。飛行機は分厚い雲の層を抜けた。
そこに広がっているのは全くの別世界。太陽が燦々と降り注ぐ天空の風景だった。雲から、アルプスの峰々が顔を出しキラキラ輝いていた。
それはまさに、雲海という名の海に浮かぶ島のようだった。そして峰に積もった真っ白な雪が太陽光を反射して、まるで自ら発光しているように見えた。
さっきまでの、分厚い雲に覆われた地上とは全く別の、天空の世界が広がっていた。
こんな訳で、私は飛行機の窓側は譲れない選択だと思っている。
一生忘れられない絶景が、それも運に恵まれなければ見ることのできない景色を
見せてくるからだ。
見惚れていて写真がないのをお許しいただきたい。