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焦燥感に殺される

常に何かをし続ける。

生産性を掲げ,何かやった気にならなければ気が収まらない。

義務教育や会社員は,そういう「何かやってる」から,「考えなくていい」と免罪符をもらっている。ように見える。

あれやりたい,これやりたい。自分はもっとこうなりたい。社会の中のハコに収まると,何か不満が生じる。そしてそれが原動力となって欲求が生じる。

自身に所属があることは,その故焦燥感に殺されることは少ない。自分は自分の生活を賄えるほどの金を持っている。その中で,もっとしたいことがあって,そのためにお金が必要ならば,もっと働くか,労働環境の改善を図るか,副業を始めたりする。

自身に生まれた苦しみは,それを原動力として何か動き出すこともできれば,自身に生まれた苦しみで,それが原因となって何も動けなくなることもある。


他人が焦燥感に殺されそうになっているとき,「追い詰めすぎ」「ちょっと休んだら」などと口にするが,果たして溺れて前も見えないものに浮き輪を投げたとて,浮き輪が見えるだろうか。浮き輪は近くまであるだろうか。


泳いでつかみ取っていかなければならない時の絶望感。そしてついに諦めて身体の力を抜くと,波の揺れに気づく。耳に水が入って痛いことを知る。そして体は浮く。波で定期的に息はできなくなるが,その周期を理解するだろう。


しかしどうだろう。諦めたものは,そこにしがみつくだろうか。生への執着はどこで生まれているのか。

最善や改善や未来を目指す者が安息する地はどこにあるのだろうか。


#焦燥感に殺される

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