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江戸を支えた物流の拠点・流山本町を歩いて

秋晴れの土曜日。馬橋駅には5人のコマチメンバーの姿がありました。
この日はメンバーの1人が暮らす流山でまちあるき。
実は私・代表の長谷も、出身はお隣の柏市ですが、流山市との境だったので、ほぼ地元といってもよいまちです。

①流山市ってどんなところ?

流山市といえば、2022年に人口増加率6年連続1位となり、「住みたい街ランキング」では上位の常連。2024年は過去最高の15位にランクインしました。
(SUUMO住みたい街(駅)ランキング2024首都圏版15位:流山おおたかの森駅)
その要因となっているのが、2005年に開業した秋葉原とつくばを結ぶ路線「つくばエクスプレス(EX)」です。流山市内にも3駅が立地し、特に「流山おおたかの森駅」周辺では、大規模な開発が行われ、商業施設やマンション、住宅地が広がりました。TXによる都心へのアクセス向上や、市の子育て政策によって特に子育て世代からの人気が高く、都心のベッドタウンとなっています。
(余談ですが。「おおたかの森」の名前の通り、以前は希少な大鷹が生息すると言われた森のエリアでした。そこを更地にし、開発したことの是非を問う声も。)

駅直結の商業施設「流山おおたかの森S・C」。
スーパーや、生活に役立つ店舗や映画館が入っています(画像素材:PIXTA)

そんなTX開通以降の発展に注目されることが多い流山ですが、今回のまちあるきのメインはそちらではなく、古くからの町並みが残る「流山本町」エリア。市役所や、ローカル線流山電鉄(流鉄)の流山駅が位置するのもこのエリアです。

歴史を辿ると、江戸時代の流山は物流において重要な場所でした。水運が中心の当時は、様々な物資を載せた船が利根川を遡って関宿(野田市)を通り江戸川に入り、江戸へと向かっていきます。流山は、その船が江戸に着く前最後に休憩で立ち寄る町でした。
江戸まで残り少しで宿場町ではない為、宿こそありませんが、川沿いの街道には様々な商店が並んでいたようです。今でもその一部は残っており、古い木造の建物が情緒ある町並みを作り出しています。

②まちあるきの足跡

馬橋駅に集合した我々がまず向かったのは流鉄乗り場。ここから流山駅までは電車で向かいます。
交通系ICは非対応のため、窓口で硬券を購入しました(※切符は券売機でも買えます)。

硬券をゲット!!パチンと切れ込みをいれてもらってワクワクが高まります。
終点まで乗っても220円。

終点の流山駅まで全6駅、全長5.7kmの道のりを揺られます。
地元は近いですが、私も流鉄に乗るのはこれが初めて。西武鉄道からお下がりの車両はそれぞれカラーリングが違い、名前が付いています。今回載ったのはピンク色の「さくら」です。他にも「なの花」「流星」などがあるそう。

「さくら」に乗り、流山駅へ揺られる。

13分の短い乗車を経て流山駅に到着。古い駅舎に趣を感じつつ、いよいよまちあるきスタートです。

まちのあちこちには、流山住民たちがボランティアで作った「切り絵行燈」が。

途中の公園(のブランコ)に吸い寄せられつつまず立ち寄ったのは、万華鏡ミュージアム。さまざまな形、大きさの万華鏡が展示されており、実際に覗くことができます。中には、自身が中に入れる万華鏡も!?不思議な写真が撮れるので、ぜひいろんな撮り方を試してみてください。

途中には流山キッコーマンの工場も。
実は流山は白みりんの発祥の地と言われており、昔から醸造業が盛んです。白みりんの2大ブランド「万上(まんじょう)」「天晴(あっぱれ)」は流山で誕生しました。万上の味は現・流山キッコーマン株式会社に受け継がれています。
みりんを使ったまちの魅力発信にも力を入れており、流山白みりん検定なるものも。

歩いてお腹が空いたので、有形文化財の蔵をリノベした素敵なカフェ&バル「蔵ごころ」さんで腹ごしらえ。
おかずを自身で選ぶことができる、地元野菜がたっぷりのセレクトランチに舌鼓を打ちました。流山のみりんを使用した自家製のみりんドレッシングも絶品です。

蔵ごころさんでランチ!外観撮り忘れてしまいましたが、土壁の蔵を改装した素敵な建物です。

昼食後は腹ごなしのお散歩。
素敵な雑貨屋さんをのぞいてみたり、古い和菓子屋さんで流山のお菓子を食べたり。

そんな中で出会ったのは、流山の史跡ガイドをされているボランティアのみなさん。実は流山は新撰組とゆかりのあるまちなのです。

慶応4年(1868年)4月。新政府軍から逃れてきた近藤勇を隊長とする新撰組の生き残りたちは流山に布陣。しかし、追ってきた新政府軍に包囲されます。窮地を脱する為、近藤勇は偽名を名乗って新政府軍に出頭するも、正体が露見。そのまま捕縛され、その後板橋宿で切腹すら許されず斬首となりました。
土方はじめ生き延びた隊士たちは北へ逃れ、函館での決戦まで戦いは続いていきます。
近藤勇と土方歳三が今生の別を告げたのがこの流山の地であり、今でも残る近藤勇の陣屋跡に新撰組ファンが訪れるそうです。

近藤・土方ともに享年35歳。その若さにして歴史に名を残した2人の話を聞き、残り10年で自分に何を成し遂げられるだろうかと考えさせられました。

参考:新撰組と流山

③machiminで学ぶ、人と組織の持続可能性

まちあるきを経て、ようやく今回の目的地であったmachiminへ到着。
この場所をひとことで言い表すのはとっても難しいのですが、
流鉄流山駅の一角にある「コミュニティスペース兼観光案内所」でしょうか。
「まちをみんなでつくる」を名前の由来とした「machimin(まちみん)」は、だれもが自身の好きや得意を活かしてまちに関わることができる、参加型のまちづくりコミュニティです。

流山のみりんを活用した商品開発をする「本みりん研究所」や、価値がないとされたモノやバショを作り変え、新たな価値付けをする「廃材アップサイクルラボ」等、流山に根付いて様々な活動をされています。

流山駅舎のスペースを活用したmachimnin

実はコマチメンバーの1人が以前machiminでインターンをしており、そのご縁もあって今回代表の手塚さんにお話を伺うことができました。
たくさんその内容もシェアしたいところではありますが、お話はナマモノ。その場にいる人たち、雰囲気、流れによって生まれたものなので、ここでは少しだけ書くことにします。手塚さんの取り組みや考え方を知りたい方は、著作「もしわたしが「株式会社流山市」の人事部長だったら」を読むと一通りわかるので、ぜひご一読ください。

私の中で印象に残っているのは、やはり「人」のお話。もともと大企業で人事をされていた手塚さんの人との向き合い方、それぞれの得意・好きの引き出し方、活動を持続的に続けていく上での組織の新陳代謝について等、とても勉強になりました。
人が入れ替わらない組織はない。変化していくことを怖れない。ライフステージが変われば人の関わり方も変わっていく。そんな中でも初期に想いだけで集まってくれたメンバーはとっても大切ということで、今この始まったばかりのコマチに集まってくれているメンバーたちには良い「依怙贔屓」をしていこうと思いました。

気がつけばすっかり外は真っ暗に。手塚さん貴重なお時間とお話をありがとうございました。

④終わりに

本当は流山おおたかの森駅周辺も歩くことで、流山本町との違いも見てもらおうかなと思っていたのですが、今回はタイムアップで断念。笑
変わりゆく新しい街と、人の想いの詰まった古き町。そのどちらの良さも共存する流山のまちあるき、とても楽しかったです。
そんな中でもやっぱり私自身としては、人の想いや温もり、つながりが感じられるようなモノ・場所が好きだし、それらを残していきたい・推していきたい、そう思いました。これも一種の推し活なのかもしれませんね笑

さあ次はどこのまちをあるこうか。


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