産後、ゆっくり歩くようになって、街への焦点が厚くなった
歩くスピードが落ちたら、違う景色が降りてきた――。西巣鴨駅近くにある「まちの元気を育む『studioハレマニ』」(東京都北区滝野川)は、元診療所を改装したダンススタジオです。3児の母で、テレビの世界でも活躍したダンサー、笠井晴子さん(35)が2019年にはじめました。5歳、2歳、0歳のお子さんを育てる笠井さんのダンスクラスは、「正解」を教えません。しっくりくる習い事がなかなか見つからなかった私の娘も、のびのびと踊っていました。笠井さんが、「ハレマニ」という場に込めた思いを、聞きました。(聞き手・構成:山内真弓)
亡き祖父が構えた元診療所が、人の集う場に
――ぬくもりのある建物で、街に溶け込んでいますね。階段を上り、1階のダンスフロアに入ると、左手にピアノ、右手に黒板!! ダンス以外も楽しめそうな場です。
笠井さん ここは、元診療所です。半世紀ほど前、亡くなった私のおじいちゃんが、内科と小児科を構えていました。私は、おじいちゃんと会ったことはありませんが、街の人が「診療所にお世話になった」と声を掛けてくれることもあるんですよ。
1階のダンスフロアが、診察室でした。ここで、私は毎週、子ども向けにコンテンポラリーダンスのクラスを開いています。他の先生が、音楽教室や、サルサ教室を開く日もあるんですよ。
この扉から地下への階段を降りると、レントゲン室があったんですよ。
空き家だった時期もありますが、私は20代のころから、都心へのアクセスの良いこの建物に住んでいました。独身時代は、仲間とシェアハウスをしていたこともあったな。夫(ダンサーの白髭真二さん)と結婚後も、ここで生活しています。
2015年、1人目の子どもを授かったころから、この古い建物をどうしていくか、考えるようになりました。建物を売って地方に移住しようか、建物を丈夫にして、ここで新しい「場」を作っていこうか――。結論を出すまで、2年くらいかかったかな。
不動産屋さんに相談しにいくと、50年以上たった建物なので、「壊します」と言われ続けました。でも、人が住み始めると、建物は息を吹き返す。(暮らしていた)私は、この建物に愛着があったし、「まだ使えるのにもったいない」と思った。そんな中、「部分的に残して使えますよ」と言ってくれる設計事務所が見つかって、リノベーションすることができました。今は耐震補強などをして、住居兼ダンススタジオとして使っています。【写真下は、ハレマニの屋上で踊る笠井さん】
独身時代は「寝たり食べたりする場所」
20代前半は、華やかな生活を送っていました(笑、写真下)。芸能界で活躍している師匠に学んでいたので、テレビ出演もちょこちょこあったし、日本武道館でも踊りました。産後は、深夜まで続く現場には行かないようになりましたが、当時は日付が変わるまで現場にいる日もありました。この建物は私にとって、「寝たり食べたりする場所」でした。
街とつながりもなかったですね。お向かいさんとくらいしか、あいさつしなかった。(近くの西巣鴨駅や板橋駅から電車に乗って)あちこち出回っていたし、歩くスピードも早いし。さっさっさっさって歩いていて(笑)、「街の人としゃべろう」という意識もなかったなあ。若かったし、仕事中心の(地域の)「外」に出る生活を送っていたから、家の近くを散歩する概念もありませんでした。
でも、子どもが生まれると、急に歩くテンポが変わるじゃないですか。ベビーカーを押して、ゆっくり歩いていたら、街のおじいちゃんやおばあちゃんにも声をかけられるようになりました。そのとき、気がついたんです。「ああ、子どもを生むまでの私は、声をかけられない、道も聞けないくらいのスピードで歩いていたんだ。早すぎたな」と(笑)。
産後、生活範囲が狭くなって、視点が変わった
――子どもを生んでから、街へのまなざしや視点が変わったんですね。
笠井さん 子どもがいると、生活するスピードも、生活する範囲も狭くなって、半径1キロくらいしか出歩かなくなる。そうすると、街への焦点が厚くなっていく。ふと、「自分の住んでいる場所って住みやすいのかな?」って思うようになって。
(西巣鴨駅や板橋駅から徒歩圏の)この土地はアクセスが良くて便利だから、子どもを産む前に(外でバリバリ)仕事をしていたころは「住みやすい」と思っていました。でも、産後は「子どもはもっと広々したところで走りたいんだな」「公園や自然がもっと欲しいな」と思うようになって――。
――私も、同じです。その感覚、とてもよく分かります。
笠井さん 自分の生活スピードがひゅっと落ちたら、違う世界が広がっていました。ここが「暮らし」(の現場)で、「みんな、ここを土台に生きているんだ」ということがやっと分かったんです。違う景色が降りてきたら、これまでしゃべったことのなかった街の人、おじいちゃんやおばあちゃんとも言葉を交わすようになりました。古い商店も残る滝野川は、子どもを連れて歩いているとしゃべりかけてくれる人が多く、人情にあふれていることが分かりました。道の反対がわにいるおばあちゃんが「かわいいね~」って言いに来たこともありました(笑)
――視点が変わったきっかけは、なんでしょうか?
笠井さん 姉が助産院で出産した影響で、私も助産院で子どもを生みました。妊娠中、そこで助産師さんの話を聞いて、「自分の命ではなく、新しい命主体の人生がはじまる」という方向に、目を見開かされました。主語も変わり、初めて「自分」以外の所に目線が向いた。「自分が楽しむためのエクササイズや、マタニティライフ」ではなく、「赤ちゃんが気持ちよい人生を送るために、体を整える」になった。さっそうと効率よく動く社会から、自分の「暮らし」や「暮らす街」、というベースの部分に立ち返ったんです。それがあっての子育てなんだな、と感じました。
自分の人生に子どもがひとり入ってくるから、自分の人生(時間)が削られてしまうから、それを補てんする「何か」を早くから探しておこう、ということより、「子どもが生まれたら、まるで生活が変わるんだよね」という心づもりで出産を迎えた。「子どもを産む前の生活を続けよう」とは思っていなかった。
産後も改めて、「ああ、これは産前と同じ生活は続けられないわ~」って思いました。「はじめてだから、子育てを楽しんでみたい」っていうのもあったかな。
「自分」の人生のなかで、育児はその合間にやるもの、という感覚ではないです。踊りたい気持ちもあるし、ヒーヒーいいながらも、子どもと一緒にいたい気持ちもあるし。【写真は、妊娠8か月の笠井さん。家族でのパフォーマンス】
母になり、住んでいる場所の重要度が増した
――母親になって、だんだんと「見え方」が変わっていって、この場所(ハレマニ)を作ったんですね。【写真下は、産後、赤ちゃんを抱っこしながらスタジオにたたずむ笠井さん】
笠井さん 働くことと、育児していることを、混同したかった。どこかに子どもを置いて、どこかで仕事をして、帰ってきて、という時間が切られていく感じではなく、「一緒にやれたらいいのに」と思いました。だから、住まいで働く形にしました。
一方で、子どもを連れて街をゆっくり散歩するようになったけど、ママ友はなかなかできなかった。その場限りで会話を交わす人はいても、連絡先を交換して、その後も交流が続く人はいなかった。自分の住んでいる場所の重要度が増していく中で、「暮らす場所が、もっと楽しかったらいいのに」という思いが生まれました。ママが集まる場に、電車に乗って行ったりもしたんですけど、子連れで電車に乗るのも一苦労で、何度も行く事はありませんでした。毎週決まった時間に児童館に通うのも難しくて。
自分で楽しさを見つけていく気持ちが人間を強くする
――笠井さんが、行ってみたい場所が、「ハレマニ」なんですね。「ハレマニ」では、子育て中の人が気軽に参加できるイベントや教室が多く開かれていますね(写真下)。笠井さんの開く小学生向けのコンテンポラリーダンスクラスは、振り付けやスキルを指導するスタイルではありません。
笠井さん 子どもの自然な発想や、体の動きには、可能性がある。形を整えたり、うまく見せたりするテクニックは、やろうと思えば、いつでも身につけられます。
だから、飽きさせないように、テクニック満載に綿密に作られたカリキュラムは、与えません。受け身で楽しむことは他で十分やっているだろうし、技を磨くためのクラスはもう少し言葉の理解が進んでからでいいようにも思っています。
以前、振り付けを教えて形を作るようなダンスクラスを開いてみたら、自分が苦しくなっちゃったんです。それより「この子たちが勝手に動いている動きの方が面白い」と思いました。その方が子どもたちのエネルギーが出てくる。自然に出てくるエネルギーを伸ばしていくことに、可能性を感じました。「振り」を教えることへの違和感を経て、ワークショップ形式になりました。今日の気分をそのままダンスにして、全部楽しんじゃおう、というスタンスです。
今、子どもたちは、正解があることばかりに囲まれています。これは違います、間違っているのはダメ――。効率重視の生活を、親も送っています。便利な家電も生まれ、効率よく生きるためのテクニックにあふれて、しんどい。でも、「効率」って時間を作っているようで、時間を圧迫しているような気もしていて。
無駄こそ面白い。意味がわかんないことが面白い。そんな感覚も大切です。自分で楽しさを見つけていく気持ちが、人間を強くするんです。「どこへ行っても、身一つあれば楽しめる」。そういう風に私もなりたいし、子どもたちにも、そうあってほしい。【写真下は、笠井さんが第3子妊娠中<妊娠7か月>、ハレマニで行った公演「山田パール劇場!~生で会いましょう~」で、「処方箋ダンス」をしているシーン。「医師だった祖父からヒントをたくさんもらった作品」】
コンテンポラリーダンスは、100人いれば、100人それぞれの踊りがあるんです。成長すると、羞恥心が生まれて、自由に表現することができなくなる。1回恥ずかしくなると、その壁をなくす作業から始めなくてはいけないけれど、子どものうちは、まだその壁がない。学校や家で自由に自分のやりたいように体を動かしたり、声を出したりできる場って、減っていますよね。息苦しくないのかな?
――「息苦しい」と感じたことのある子が、笠井さんのクラスにひかれるんでしょうね。
笠井さん そうそう(笑)。「ああ、息できる!」って。それぞれ、自分にあう場所を探せばいいんです。
ダンスに固執せず、街の人がつながる場に
――「ハレマニ」を、どういう場にしていきたいですか。
笠井さん 街の人が立ち寄って、つながっていく場にしたいです。人とつながるのは難しいけど、つながってみたら、楽しかった。上の世代の人ともつながって、顔見知りを街で増やしていくと、きっと楽しくなる。人とつながることは、子育ての安心にもつながります。
ダンススタジオだけど、ダンスに固執せず、心身共にわくわくする場にしたいです。先日は、花束を自由に作るワークショップを開きました。「ママ会」を開くために、スタジオをかりてくれる方もいるんですよ。(コロナが落ち着いたら)スタジオ開放する日も作って、街にもっと開いていく場にしたいです。
今は、地下に、子どももお年寄りも立ち寄れるカフェを作りたいと考えています。未来につながる食を考える場にしたいですね。
暮らしている街で、特技を生かして自分の生きがいを見つける仲間も増やしたいです。ハレマニは、そういう人たちを応援しています。
スタジオハレマニ 東京都北区滝野川6の11の9。都営三田線西巣鴨駅から徒歩7分。JR板橋駅から徒歩7分。スタジオのレンタル料は30分800円(要事前予約)。https://www.studio-haremani.com/
【取材した人】山内真弓。小学生と保育園児の母。転勤族で、茨城、仙台、千葉、東京(都内も3カ所ほど…)で子育てしました。毎日新聞記者。都内市部在住。コマロン編集部で、ただひとりの専従書き手です。今のところ。体力がないのが悩み。
(取材についてきた娘は、黒板に絵を描いた後、好きに踊って帰りました)