他人の不幸を願ってしまう理由が思っていたより深かった
他人の不幸を願ってしまう。大学に入って以降、それが顕著になった。会ったことのない人であろうが、知っている人であろうが、不幸になってくれたら良いのにと思う。
こんな感情を持っている自分は好きじゃないし、「他人の不幸を願ってしまう自分って、本当に嫌なやつだな」と思って更に自己嫌悪に陥ってしまうのも嫌だ。自分のことは好きになりたいから。
こんな感情から離れたいと思い、対策を講じるためにも、まずは現状を整理してみた。
・どんな人に不幸になって欲しいのか?
→人生楽しそうな人、苦労が少なそうな人、チヤホヤされてきた人など
・逆に不幸になって欲しくない人は?
→家族、親戚、同居人、同居人の家族、幼なじみ、幼なじみの家族、不幸になって欲しい特徴に当てはまらない人
・どうして不幸を願ってしまうのだと思う?
→僻みややっかみ、嫉妬のせい。
・どうしたら不幸を願わなくなると思う?
→自分の生活が充実したら。他人に目が行かなくなると思うから。
自分で思いつく限りはこんな感じかなと思う。不幸を願ってしまう原因のところと、対策が全然思い浮かばなかったから、ネットの力を借りることにした。
他人の不幸を願ってしまう理由
まず前提として、他人の不幸を喜びに感じるのは、全ての人にある感情なのだそうだ。これは意外だった。同居人や、過去仲良くしていた知人たちが、他人の不幸を願う人の気持ちがわからないということをよくいう人たちだったから。
でも、これを反転して考えてみれば、他人の不幸を喜びに感じる感情を持っていたとしても、他人の不幸を願わずに(他人の不幸を願う感情を持っていることを自覚せずに)生活していくことが可能ということだ。ポジティブ思考ができるようになってエラいゾ!(アツい自画自賛)
……さて、他人の不幸を願ってしまう理由をまとめていこう。
1. 人との繋がりを維持したいから
相手との繋がりを保とうとするあまり、「あなただけ幸せになってしまったら、私から離れていってしまうんじゃないか」という感情が強まり、不幸を願ってしまう。幸せホルモンのオキシトシンが、不幸を喜ぶ感情を強めているらしい。これは意外。
2. 自己嫌悪や自己肯定感の低さが原因の一つとなっている
はい、出た、自己肯定感。
自己嫌悪したり、自己肯定感が低かったりすると、周囲の反応を否定的に捉えやすくなる。また、何度も思い出すことで主観的な事実を飛躍させてしまい、ネガティブな感情を増幅させてしまう。更に、「自分なんて」という気持ちがあるから、自分が「上」にいくことを想像できず、「上」にいる人を引きずりおろそうとする。
3. 相手が幸せになることで、自分が感じるであろう感情を避けたい
相手が幸せになってしまったら、嫉妬したり、悔しさを感じたり、無力さ・ふがいなさ・情けなさを感じてしまうかもしれないと考え、その感情を避けたくて不幸を願ってしまう。
4. 自分を正当化したい
諦めたり、我慢した経験があると、その経験がなさそうな生き方をしている人に感情移入しにくくなってしまう。相手が失敗すれば、挑戦を諦めたり我慢したりした経験のある自分を正当化することができると思ってしまう。他人が幸福だと、自分の今までの努力や生き様が否定されるように感じてしまい、自分が不幸になったように錯覚し、幸せそうな人を敵視してしまう。
5. 自己愛が強すぎる
自分だけが幸せになれば良いと思っている。正直これは自分には当てはならないかな。幸せになって欲しい人もいるので……
6. 嫉妬・羨望が強い
自分が持っていないものを持っている人を認められないから、不幸になって欲しいと願ってしまう。
7. 「世の中は不公平」であることに怒りを感じている
結局、容姿が優れている人が得をするというようなことを目の当たりにし、どうせ自分は幸せになれないから、他人が不幸になってくれたら良いのにと思ってしまう。
8. 他人の不幸を見て不安を解消したい
自分より「下」の人の存在を見て安心したいから、不幸を願う。
以上。
正直、あまりにも刺さりすぎて、かなり精神的にダメージを負った。自分の嫌な面と真正面から向き合うと、やっぱり落ち込むな。
いろいろ調べてみて、「上」とか「下」とかの観念が自分にあるということを実感した。人間に上下はない、全ての人が尊いのだから、まずは「上」や「下」を作るのをやめようと思う。
他人の不幸を願うのをやめるには
他人の不幸を願うのをやめるためにはどうしたら良いのかについても調べてみた。それは以下4つ。
・自分に他人の不幸を喜ぶ気持ちがあることを認める
・人を妬む感情を、自分を幸せにするために使う
→他人を引き摺り下ろすのではなく、自分が成長していく
・とことん他人を恨んで、人の不幸を喜ぶ感情に寄り添う
・自分を肯定することに興味を持ってみる
考え方を転換するというのはわかるけど、感情に寄り添うというのは意外だった。とことん他人を恨んでみようと言われると、なんかちょっと難しい気持ちになる不思議。
結局は、幸せや不幸を相対的に考えてしまうのが良くないのだと思う。相手が幸せになったからと言って、自分の幸せが減るわけではないのに、相手の幸せと比較して、自分はそんなに幸せではないのかもと思うのは勿体ない。そもそも、幸せの定義は人それぞれ少しずつ違うはずで、その人がどれだけ幸福感を得ているかなんて本人でなければわからないし、幸せそうに見えて全然幸せを感じていないかもしれないじゃないか。
というか、やっぱり私、他人を気にしすぎだ。他人ばっかりみていたら、自分の幸せには気づけないのに。他者に向ける視点を、自分に向けよう。
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