お金と想像力、その続き。
小学生のとき、自宅のマンションの壁に絵を描いたことがある。直前まで賃貸のボロボロのアパートに住んでいた。自動販売機でジュースを買うのが憧れだった。ファミレスに行ったことがなかった。友達の家のカルピスは格別に濃厚だった。両親が苦心してお金を貯めてようやく分譲で購入した新築マンション。その真新しい壁によく描かせてもらったなと、ローンを自己責任で背負えるようになったいま改めて思う。画用紙に絵を描くのとは異なる、大胆な書き味に子供ながら興奮した。自分の想像を現実に描き込んでいる気持ちになった。そんなに絵が好きならと、母親が朝日新聞の絵画コンクールをすすめてきた。壁に描いたのと同じく、汽車が現実方向へ飛び出してくるような絵を描いた。銅賞をもらった。副賞として図書券500円。僕がいまAR三兄弟として進めていることは、あの絵の延長線上にある。
子供の頃の僕といえば、(水泳だけは例外だったけど)運動が物凄くできるわけではなかった。勉強も答えを丸暗記するものが大嫌い。IQだけは異常に高いけど、周りからは評価されていなかった。普通の小学校へ行けるかどうかさえ、危ないところだった。ちょっと周りと違う感情をもったユニークな子。というだけで、未来を期待されるタイプの人間ではなかった。有り余る想像を遠くへ飛ばして、着地する術を知らなかった。あの賞をもらうことで「(頭に浮かんだアイデアを形にすることは価値があることだよ)」と、朝日新聞から声をかけてもらった気になった。
とっくに忘れてたけど、いま考えるとあれが本当に大きかった。自分が審査委員長をつとめるならば、あれに近しい感覚を提供したい。金額がすべてではないけど、経済的にもしっかり表彰したい。賞金を100万円×2用意してもらった。三井不動産さんと進めているコンテスト(クリエイター特区)にはそんな思いがある。
まだしっかり伝えていなかったことがある。このプロジェクトでは、僕もいちアイデアマンとして日本橋を拡張する案を考えてAR三兄弟として実装する。賞金の対象外だが、応募する人たちと共通したお題でアイデアを考えるという意味では同じ立場だし、長(審査委員長の長でもあり長男の長でもある)が自ら提示するアイデアがつまらなかったら、今後もう誰もついてこない。プロジェクト自体が潰れかねない。リスクのあることをやっている。よりフェアな立場を明確にするために、僕のアイデアをここに明記しておく。時間と予算に限りがある。すべてを本年度に形にすることは難しいだろう。
アイデア1:能の拡張
日本橋というお題となる場所から、まずは時間軸を題材とするのが良いと思った。三井不動産さんから相談された当初からなんとなくイメージにあった能のイメージをコンテストのキービジュアルには書き足していた。来週のラジオで、能楽師の粟谷明生さんと対談する。そこで、僕が考えているアイデアを伝えて、実装の可能性があるかどうか確かめる。能の歴史は長い。観阿弥と世阿弥が大成したと言われている猿楽が室町時代、明治以降は狂言とともに能楽と定義され直した。『能』という語は元々、特定の芸能を指すものではなく、物真似や滑稽芸でない芸能で、ストーリーのあるもののこと全般を意味していた。高浜虚子が100年以上前に『新作能(鐵門)』を書いたらしいけど、それ以降、現代の空気を宿した新作の存在を、僕は知らない。拡張現実という、芸能としては比較的新しい技術を使って表現したい。
アイデア2:商の拡張
日本橋といえば、商いのイメージが僕のなかで大きい。江戸時代後期から明治にかけて、この地を往来していた行商人の姿が印象に残っている。彼らを拡張現実的に呼び起こしてみたら、おもしろくなるのではないか。
アイデア3:グリッジ招き猫
グリッチタヌキという作品を作っている中谷健一さんが気になっている。現実にそれを配置しただけで、時空の歪みを感じる。たとえば招き猫をグリッジ化させて、虚実の往来の基礎としてはどうか。
アイデア4:見返り美人図の現代的解釈
見返り美人図は江戸時代に菱川師宣が描いたものだが、これをモチーフにした作品も作ってみたい。見返るという所作を現代にアレンジしたい。ミシンの世界に十年いたこともあり、あの絵の美しさを後ろ支えしているものが何なのか。把握している。菱川は縫箔師(着物に刺繍と金銀の箔で模様を表わす特殊技術を操るもの)(能装束としても使われた)の家に生まれている。
2月15日の一般応募締め切り、3月中旬の大賞発表、5月にアイデアを実装した形で発表となる。あなたにしかまだ見えていないこと、奮ってご応募ください。