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パパになったら、メロウな立ち話が増えた。

生活感がないですね。よく言われてきた。実際のところ、生活感というよりは生活そのものがなかった。四六時中、新しいアイデアを探して実装手段を試してきた。何かを犠牲にしないと、何も生み出すことはできない。パブリックイメージはもう少し温和かもしれないけど、実際の僕にはそういうところがあった。AR三兄弟の次男三男とさえ、プライベートな話はほとんどしてこなかった。開発と関係ない話は何もしてくれるなオーラが満載だった。

2022年12月7日、僕はパパになった。生放送のラジオで伝え、SNSでも公にした。予想外の反応をたくさん貰った。自分が開発したもの以外でこんなにリアクションがあったのは初めて。冠婚葬祭の数だけ、人は喜んでもらえる。悲しんでもらえる。何かを創作するということは、それに相当する喜怒哀楽を自ら生み出すこと。注目してもらえる機会がプライベートな報告で減ってしまうくらいならば、アイデアと実装でタイムラインを埋め尽くしたかった。

子供の話を公にしていちばん良かったのは、立ち話が増えたことだ。僕を見かけると、誰もが自らの家庭のことを話してくれる。子供の数を教えてくれる。パパとしてはまだまだ新米の僕に、クリティカルな助言をくれる。独身の人は独身の人で、あなたの選択と勇気に敬意を表すると伝えてくれる。乾燥した人間関係に、新たな川が出現した。「世界へようこそ」と、漠然かつ具体的なお祝いの言葉をくれた人がいた。

世界の未来を考えると、必ずしも明るくない。子供たちの世代は、もっとシリアスにあらゆる問題とグロテスクに関わらなければならない。自ら何かを犠牲にして切り拓くというよりは、立ち話するもの同志で大きな矢印を連帯している。目の前の人を楽しませたい気持ちと同時に、二十年後のあなたの大切を守りたい。

子供には漢数字の十に語彙力の彙で、十彙(とい)と名付けた。世界を自らの感覚でまとめあげて、切り拓いてほしい。誰かの力になって欲しい。パパになった僕は、良かれと思って勝手な思いを一方的に託すわけだけど、君は君で名前の由来さえも自らの解釈で受け取ってくれればいい。十彙が誕生したことで、すでに僕はたくさんのアイデアを享受している。メロウな立ち話が増えている。連帯できる仲間が増えている。十彙の喜怒哀楽に、一喜一憂できる自分がいる。


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