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やじろべえ日記 No49 「休息」
私はしがないキーボード弾きである。名前はないわけではないが名乗る必要性を感じないので特に記載はしない。
キーボード弾きではあるのだが,今日はキーボードを弾いていない。それはなぜか。
話は1日前にさかのぼる。セッション仲間であるシンガーの浅井さんとドラマーの戸村さんに1日休息を提案されたのだ。
戸村さん曰く,私はどうやら「何かを表現することに対するあきらめ」を持っているように見えるらしい。それ自体同意せざるを得ないところがあった。
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と言ってもやることがない。学校の課題も終わってる。
そういえば最近の放課後,キーボード以外何やってただろう。何度も言うように学校はさぼらず行ってた。
よくわからなくなってしまったので一つ思いついたことを実行してみることにした。そう思ってとあるカフェに今来ている。ここは以前伏見さん,浅井さんときたカフェである。
ここでいろいろ話をしながらセッションの話もして,それであのセッションにつながったんだよなあ…となつかしく思っている。ここで話して,あのセッションにつながった。誰と弾いても長続きしなかったセッションが,日ごとに変わる演奏が初めてきっちり実を結んだあのステージ。
あの時私はどう思ったんだろう?嬉しかった?満足した?それともまたやりたくなった?
結局今伏見さんにも浅井さんにも戸村さんにも,自分の本音というのは言えていない状況だ。当たり前だ。本音が結局わからないのだから。
そうこうしているうちに頼んでいたクリームソーダが来た。クリームソーダなんて食べるのは小学生以来な気がする。こういう時間帯に喫茶店に来ることがなかったからだとは思う。
上っていく泡を見ているといろいろな情景が浮かんでは消えていたころを思い出す。
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『ごめん,もう一緒にやっていけない。』
あの頃は何回も言われていた。浅井さんと出会う前のことだ。せっかくセッションができても翌日には演奏が変わり,その翌日もさらに変わり,結局溝ができて,距離ができた。それで最終的に離れた。人間は変わりゆく存在だから演奏だって変わってもおかしくはない。それはここ数日戸村さんが言ってくれた通り。それでも明日も一緒にセッションができる。これがどれだけありがたいことか,得難いことか。骨の髄から分かっているつもりだ。
それでも,そこから何か感情が出ることはない。普通ならば恩義を感じるのだろう。恩義は感じてる。素晴らしいことだとは思ってる。別にセッション相手の人たちが嫌いというわけでもない。むしろ好意的に接してくれている分何かしら返せたらいいと思ってしまう。
それでも,それでもなのだ。暖かい感情が出るということはない。浮かんでは消えるのは自分の日常は明日消えるかもしれないという不安。そしてその不安が実際に起こった時にすべき対処。
期待にこたえられなくなる時は来る。想いに報いることができない瞬間は来る。それでも今日休みをもらえたということは,もしかしたら最終宣告かもしれない。そう思えてしまう自分がいるのだ。
今日休みはしたが,結局自分の表現したいもの,自分がこうしたいと思えるものは見つからなさそうである。正直に言ってセッションするか,セッションを止めるかするしか方法はなさそうだ。
クリームソーダのアイスがだいぶ溶けてきた。早いところ食べて帰ろう。
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