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#22 続・22回も受審しましたが、何か? 〜昇段審査の都市伝説

noteをはじめて22回目の投稿ということで、こんなテーマで書いてみます。

▪️意外だと思われますが…

私は生地胴をはじめとする防具(剣道具)が大好きな、大した戦績もないその辺にいる普通の愛好家です。
エラそうなことを書き殴ってますが、実物を見るとおそらく失望します。(笑)
生地胴のネタなどをたくさん書くつもりでしたが、noteを書き始めた時期がちょうど全国審査シーズンということもあって、ここまでは昇段審査ネタがメインでした。

普段稽古をしていると、審査の話題に敏感な人、特に審査のことになると張り切る人…いろいろな「審査好き」の方に出会います。

これだけ書き続けていると説得力がありませんが、私は特に審査ネタが好きだというわけではありませんし、自分の日々の稽古においても審査にこだわっているわけでもありません。

試合と審査はどうしても違ってくるとか、そのどちらかが近づいてくると稽古において意識するポイントも違ってくる…そんな経験は多くの方がしてきていると思います。

私は、試合でも審査でも通用する剣道をしたいと思っています。
「したいと思う」というより、日ごろの稽古でどちらのことも考えていません。
こういう剣道がしたい!という理想のようなものはありますが、その先にあるものは試合でも審査でもないのです。

今年私は年男です。
この先体力は落ちていきます。
この先、というより悲しいことにすでに実感しています。そんななか、5年先、10年先にどんな剣道をしていたいのか?
今基本を身につけておかなくては将来理想とする剣道はできないのだから…とあれこれ考えます。
それでも毎回の稽古で自分の理想とする基本が定まらず、楽しく悪戦苦闘する日々です。

私はとにかく、考えすぎるたちです。
考えすぎてマイナスの結果を生んできたことのほうが多かったと思いますが、むしろ最近ではそれを自分で楽しんでいます。

▪️最も難しい「開き直って解放すること」

昇段審査には、可能性があります。
八段はやはり別世界ですが、七段までなら誰にでも到達できるチャンスがあると考えています。
そのために必要なのは、地道な積み重ねであることは言うまでもありません。
しかし私の場合は、そこにもうひとつ加えたいと思うことがあります。

それは「開き直って解放すること」です。

開き直って自分を解放することができれば、どんな人にもチャンスはあります。
でもこれが一番難しいんですよね。
私はそうです。

しかし、上述したような「審査に敏感な人」はそれを許してくれません。
過敏に合格のためのポイントに拘り、(表現はよくありませんが)勝手に合格の基準を作り上げてしまいます。
それを本気で後進に伝える人、真に受ける人。
その勝手な合格の基準に合致して昇段した人は、それ以外の事象に目を向ける必要がありません。その基準自体に収まっていれば確かに合格の可能性は高まるものだからです。

大半の人はその作り上げられた合格基準を信じて疑う必要もなく、連鎖していきます。そうやって増えていくのが「昇段審査の都市伝説」です。

▪️普段の稽古では誰よりも拘ること

私が独り言として書き連ねている「昇段審査の都市伝説」は、noteに書き始めたタイミングこそつい最近ですが、実際には2017年ごろから書きはじめたものです。
そして本気で考え始めたのは、さらにそこから10年近く前。薄々気づき始めたのは大学生の頃です。
(結局途中で忘れてしまったわけですが…)

今日に至るまでにこの都市伝説に気づき、不合格のトンネルに入ってしまった友人知人を中心に対してそれを提案してきました。
その人の昇段審査との向き合い方が変わったことでよい結果に繋がったという事例が、嬉しいことにそこそこ生まれました。

ただ、ときには勘違いをされることもありました。
端的に言えば、「初太刀を外してもいいとか、打たれても気にするなとか言うことは、審査に真剣に向き合っていないということではないのか?」
という質問があったのです。

これも文章を書くたびに念を押していますが、確認しておきたいことは
「普段の稽古を全力で取り組むことは必須」だということです。
昇段審査の都市伝説を書き残す以上、そこはしつこいくらいに併記していきたいと考えています。

▪️なぜ初太刀にこだわるのか。有効打突とは?


私は今、ふたつの道場に所属しています。
ひとつの道場で、かつて師範の先生からこんな話を聞いたことがあります。
「初太刀を大切にする稽古は、人間形成に繋がるものです。
真剣勝負なら二本目はありません。
つまり負ければ明日がないのだから、今を大切に生きようとする心につながるのです。

初太刀を大切にする稽古を繰り返せば剣道が強くなります。だから生涯を通じて稽古していかなくてはならないのです」

こんなことも話されていました。「剣道の究極の目標は有効打突を取り、試合で勝つことです」
これだけを切り取ると戸惑う人もいると思います。

この有効打突とは、審判の旗を上げさせるために基本を無視して当てに言った技とは同義ではありません。
自分から攻め込んで相手を崩し、捨て身で飛び込んで、打ち込んだ技をはじめて有効打突と言います。
もちろん、打たれないように防御しながらとか、刃筋を無視して変幻自在に竹刀を操ることに浸るような技でもありません。

審査でも有効打突が必須だとは言われますが、そこでいう有効打突とは、この師範の先生が説かれるようなもの—つまり、かなり高水準にある打突のことを有効打突だというわけです。

しかし現代剣道では、もともとの有効打突の定義が忘れられているとも言えます。

▪️なぜ初太刀を外しても構わないと言っているのか

剣道では真剣は使いません。
ですから相手に打たれて終わり、ではなく、打たれても稽古は続きます。
打たれて相手に感謝しつつ、また立ち上がれるのが剣道です。

私たちはその剣道をしています。
初太刀を大切にする。本物の有効打突を追及する。対峙する相手と互いに求め合うからこそ剣道は向上していきます。
お互い同じことを考えているのですから、どちらかが打ち込めて、一方が打たれることもあるでしょう。
それでも剣道には次があります。
次のために残心があり、そのまま次につなげることを繰り返す…そうやって向上していくのだと思います。

審査では、その姿勢が問われます。
たったの60~90秒の世界、どんなに取り繕っても一般人が出せるのは、普段の姿勢まで、でしょう。
審査員はその姿勢を見抜くはずです。そこでは、些末なことなんて些末なことでしかありません。
初太刀を取ったかどうかという事実よりも、初太刀を絶対に取る気持ちでそこに臨んでいるかが見られています。外れてもいいのです。剣道なのですから。

普段の稽古で最高の初太刀を打ち込むためには充実した気勢、攻め崩し、機会を躊躇せずに打ち切り、残心することが必要だと思います。
それができるように、日々稽古をします。
そこに果たして胴の色や手拭の色が関係するかどうか…ですね。

「昇段審査の都市伝説」からの脱却は、誰よりも真剣に審査と向き合い、乗り越えるために必要な「地道な積み重ねと開き直って解放する力」を何にも邪魔されずに発揮するための要素なのです。

こんなに頑張っているのに、なぜ合格できないんだろう。
わからなくなってしまった…という方。
「昇段審査の都市伝説」をチラッと眺めてみませんか。
そして、普段の稽古から開き直ってみれば何か新しいものが見えてくるかもしれません。

以上、今基本が崩れまくって路頭に迷っている筆者がお伝えしました。
そろそろ剣道具ネタが書きたいですね(笑)

とりあえず、今日はこの辺で。

▪️前回の同タイトルもどうぞ。

こちらも。

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