#54 「その胴、いいでしょう!」 ~形見の胴
「先生が倒れました。いま救急隊が来て心肺蘇生などをしています」
いつもなら連絡はLINE、という相手から直接電話が入るのは怖いものです。
東京都では、毎年4月の第一週の日曜日に「東京剣道祭」が開催されています。私は毎年この時期に大きな仕事が入る関係もあり、この大会に出場したことがありません。昨年のこの大会の開催時間中、勤務中の私に仲間から電話が入りました。
剣道が大好きだと常々口にされていた先生は、毎朝座禅を組み、俳句を嗜み、囲碁を指し、読書を重ね、定期的に断食をし、全国を飛び回り、楽しいお酒を毎日嗜んでいました。剣道に留まらないさまざまな分野に先生を慕う方がいて、その人脈には驚かされたものです。
私は先生と毎日のように連絡を取り合っていたわけではなく、数か月まったく会わないこともありました。
ふとしたときに先生は元気だろうかと連絡をする。剣道に限らず行き詰ったことがあるとハガキやメールを送り、様子をうかがう。
会えば何かしら前を向く力を与えてくださいます。先生からも突然
「元気でやってるかい?」
「○○のこと知りたいんだけど教えてくれる?」
そんな電話が入ったりします。
フットワークが軽く、共感力がありました。いつもポジティブなので、会話しているとこちらの悩みなどどうでもよくなってしまいます。
笑顔を絶やさない明るい人柄でしたが、瞳の奥には何か鋭いものを感じました。
■百歳まで生きる
生きる力に溢れている先生でした。
「私は100歳まで生きる。生涯剣道を続ける」
そう言っていましたが、年齢を重ね、まだまだ新しくやりたいことがあったのでしょう。いつの日からか「120歳まで生きる」と話されるようになりました。
その先生がまだ80年、というところで旅立たれたことには驚きと寂しさを感じました。
医学的な理由はあるのでしょうが、何しろ多彩で交友関係も幅広く一日が24時間ではとてもじゃないけど足りないな、と感じる方だったので「普通の人が120年かかる物事を、80年でやり切った。80年でほかの人の120年分を生きたのだろうな」とすぐに思えました。
■「君にあげるから」
先生がお使いになっていた剣道具があります。
見る人が見ればわかる、すでに鬼籍に入られた名人が作ったものです。
伝統工芸品として貴重なものですし、意味があってその胴を使っているという話もよく聞かされました。
私は一緒に稽古をするたびに先生の道具を片付け、そのたびに「いい胴ですねえ」という絶賛を繰り返していました。
「これは軽くていいんだよ。どこに行くのにも持ち歩いているんだ。いくら使っても壊れないしね」
貴重なものであれば、消耗を恐れてここ一番でしか使わないというのが一般的な考え方なのかもしれません。軽いから稽古のたびに持ち歩く…名人が持ちうるすべての技術を注ぎ込んだ道具を普段の修行のために使い込む。
こんなにうらやましいことはないなと思っていました。
「この胴はね。使わなくなったらキミにあげようと思ってるから。」
リップサービスでも嬉しいものです。
「でも、まだ当分先かな。あと20年くらい待っててよ。」
先生には、私が涎を垂らしながら尻尾を振っている犬のように見えていたことでしょう。
20年も経ったころには私もいい年齢で、この胴もだいぶ年季が入っている状態になるだろう。もらっても自分が使うことは難しいかもしれないから床の間に飾ろうかな…そんなことを考えていたのですが、随分と早く私の手元に収まることになってしまいました。
私が剣道具好きなので、この胴の素晴らしさはよくわかっていたつもりです。その道具をほしいという感情は、先生の遺品だということと同時に、「貴重なもの、カッコいいもの」をほしいといういわゆるマニア的な感情も多分にあったことが正直なところです。
■形見とは
しかし、実際に自分のところに届いてみると、使い込まれた年輪のようなものが随所に感じられ、「作品として貴重な剣道具」であること以上に、その道具から感じられる何かがありました。
稽古の後に片付けていた時に何度も手に取って見ていたはずのその道具には、積み重ねた稽古のあとが見られます。
ずっと眺めていると
「その胴、いいでしょう!」
と言いながら先生が近づいてくるように感じました。
この胴を使い続けよう。
「来るべきとき…」になんて思わず、普段の稽古で何事もなかったように使いはじめ、いつものように手に取れる剣道具として使っていきたいと思いました。
お預かりした翌日には先生と一緒に稽古をした道場に持参し、身に着けるとたくさんの方から声をかけられました。
「先生の胴ですね」という声。
「このようなつくりの胴は初めて見ました。仕組みはどうなっているのですか?」という声。
「何よりの供養だな」
と声をかけてくださった先生には、いつものようにたくさん胴を打たれました。
■「その胴、いいでしょう!」
道具として貴重なその胴は、いまや私の稽古用の剣道具になりつつあります。しかし、ふと鏡に映る姿を見たり、稽古を終えてその道具を手に取るたびに、先生からいただいた言葉、先生の稽古姿など、沢山のことが思い出されます。もう「カッコいいからほしい」というようなミーハーな気持ちは完全に消えてしまいました。
今は「ありがとうございます」の一言に尽きます。
稽古を終えて道具を片付けるとき、ひととおり自分の剣道具一式を眺めます。この胴も含めて。そうしているとやっぱり
「その胴、いいでしょう!」
とニコニコしながら先生が歩いてくるような気がしてしまうのです。
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