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W.G.ゼーバルト著「アウステルリッツ」


「作家のための作家」(小野正嗣「歓待する文学」より)。現在、世界中の多くの作家から敬意を捧げられているゼーバルトの代表作「アウステルリッツ」を読んでみました。

 ベルギーのアントワープで<私>は英国の建築史家アウステルリッツと偶然出会い、アウステルリッツは建築の暴力と権力の歴史について驚くべき博識を披露する。

 20年後の1996年再び二人は偶然出会い、アウステルリッツは英国人ではなく、実は、ユダヤ系両親が迫害を恐れてアウステルリッツを英国に租界させ養父の牧師に育てられたのだと語った。15歳で本名を教えてもらうまで、本名と言語と故郷を喪失していた。それまで誰といても心の安らぎを得られなかった。いいようのない心に傷を負い自己回復を図るため、自分が何者で、両親はどんな人なのか、本当の家族の消息を知ろうと、「色彩をもたない田崎つくると彼の巡礼の年」のごとく、プラハ、テレージェンシュタット、マリーエンバート、ニュルンベルク、パリを50歳を過ぎてアウステルリッツは訪ね歩く。

 訪れた街々で出会った、当時を知る人たちの証言、史跡、図書館の資料などから、ナチの暴力と迫害がどんなに陰惨なものかを、アウステルリッツは<私>に語る。

 本当の両親が住んだ街プラハ、母が収容されていたテレーシェンシュタット、父がナチ党大会に訪れ驚愕した都市ニュルンベルク、パリではユダヤ人が没収された財貨の集積場に思いを馳せる。パリの同じ場所には、過去の黒い歴史を忘れ去ろうとしているかのごとく新しい巨大図書館がそびえ立っている・・。

 ゼーバルトの文体は、繰り返しを厭わない延々と従属文がつらなる文章、確定的に語ることを避けた物言い、パラグラフの切れ目がないこと、キャプションのない写真が多く掲載され、小説とも紀行文ともいえない独自の散文形式です。静謐だけれども、文章から、孤独、死、破壊、時間、記憶、狂気を感じさせる傑作でした。


読書のBGMは、高橋アキ&クロノスカルテットによる
フェルドマンのピアノと弦楽四重奏。

79分におよぶ1つのトラックに、限りなく統制され(=少ない音数)、静かに、すこしずつ変化をとげていく音の群像がひろがる曲です。アウステルリッツが失われた過去の記憶を辿るため、西洋の街を転々とする心境にひたひたと寄り添うような音楽でした。

https://www.youtube.com/watch?v=SEzPYIkfYOk&t=673s

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